宋名臣言行録 / 前集巻十・孫復
先生惡胡瑗之為人在太學常相避瑗治經不如先生而教養過之
新字:先生悪胡瑗之為人在太学常相避瑗治経不如先生而教養過之
書き下し
先生、胡瑗の人と爲りを惡み、太學に在りて常に相い避く。瑗の經を治むるは先生に如かざるも、教養は之に過ぐ。
現代語訳
孫復は胡瑗の人柄を嫌い、太学にいたころは常に互いに避けていた。胡瑗の経書の学は孫復に及ばなかったが、人を教え育てることでは孫復に勝っていた。
解説
二十六字。**この本は、並べた二人が仲が悪かったことを隠しません。**胡瑗と孫復は、六五〇の条では同じ泰山にこもった仲間として書かれています。その二人が、太学では互いを避けていた。しかも編者はそこで採点まで置きました。**経書の学では胡瑗が及ばない、人を育てることでは胡瑗のほうが勝る。**どちらが上とは言っていません。得意な場所が違う、とだけ書いて次へ行きます。
この章句が説くこと
先生胡瑗の人と為りを悪み太学に在りて常に相い避く瑗の経を治むるは先生に如かず教養は之に過ぐ不和評価適材
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻五・王曽胡文定公曰く、李文靖は澹然として欲無く、王沂公は儼然として動かず。資禀既に此くの如く、又た之を濟うに學を以てす。故に是れ八九分の地位なりと。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗湖學に在りし時、福唐の劉彝、中ごろ徃きて之に從う。學者數百人、彝は髙弟と爲る。熙寧二年、召對す。上問いて曰く、胡瑗の文章は王安石と孰れか優れると。彝曰く、胡瑗は道徳仁義を以て東南の諸生を教う。時に王安石は方に場屋に在りて進士の業を修む。臣聞く、聖人の道に體有り用有り文有り。君臣父子・仁義禮樂の、世を歴て變ず可からざる者は其の體なり。詩書史傳子集の、法を後世に埀るる者は文なり。舉げて之を天下に措き、能く其の民を潤澤して皇極に歸する者は其の用なり。國家累朝、士を取るに體用を以て本と爲さずして、其の聲律浮華の詞を尚ぶ。是を以て風俗媮薄なり。臣の師瑗、寳元・明道の間に當たり、尤も其の失を病み、遂に體用の學を明らかにして以て諸生に授く。夙夜勤瘁すること二十餘年、專ら學校に切にし、始め蘇湖より終わり太學に于る。其の門より出づる者、無慮一千餘人。故に今の學者、夫の聖人の體用を明らかにして以て政教の本と爲すは、皆臣の師の功なり。
-
論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
-
説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」