宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
太宗真宗嘗獵於大名之郊題詩數十篇賈魏公時刻於石公留守日以其詩藏於班瑞殿之壁既成客有勸公摹本以進者公曰修之則已安用進為客亦莫喻公意韓絳来遂進之公聞之嘆曰昔豈不知進邪顧上方銳意四夷事不當更導之耳
新字:太宗真宗嘗猟於大名之郊題詩数十篇賈魏公時刻於石公留守日以其詩蔵於班瑞殿之壁既成客有勧公摹本以進者公曰修之則已安用進為客亦莫喩公意韓絳来遂進之公聞之嘆曰昔豈不知進邪顧上方鋭意四夷事不当更導之耳
書き下し
太宗・眞宗嘗て大名の郊に獵し、詩數十篇を題す。賈魏公時に石に刻む。公留守の日、其の詩を以て班瑞殿の壁に藏む。既に成り、客に公に摹本して以て進むるを勸むる者有り。公曰く、之を修めば則ち已む。安んぞ進むるを用いんやと。客も亦た公の意を喻る莫し。韓絳來たり、遂に之を進む。公之を聞きて嘆じて曰く、昔豈に進むるを知らざらんや。顧うに上方に四夷の事に銳意す。當に更に之を導くべからざるのみと。
現代語訳
太宗と真宗がかつて大名の郊外で狩りをし、詩を数十篇書き付けた。賈昌朝が当時これを石に刻んだ。韓琦が留守(長官)であったとき、その詩を班瑞殿の壁に納めた。出来上がると、客の中に、模本を作って献上するよう勧める者があった。韓琦は言った。「整えたらそれで済む。どうして献上する必要があろう」。客もまた韓琦の意図を悟らなかった。韓絳が来て、ついにこれを献上した。韓琦はこれを聞いて嘆じて言った。「昔、献上できることを知らなかったはずがあろうか。ただ、天子はいま四方の異民族の事に思いを傾けておられる。これ以上そこへ導くべきではない、というだけだ」。
解説
献上すれば手柄になります。先帝二代が狩りの場で詠んだ詩を、整えて差し上げるのですから、断る理由は形の上では一つもありません。それでも韓琦はしませんでした。勧めた客にも理由を言っていない。客もまた韓琦の意図を悟らなかった。別の人が献上してから、はじめて口にします。天子はいま四方の異民族の事に思いを傾けておられる。これ以上そこへ導くべきではない。先帝の狩りの詩は、外征への気持ちを煽ります。功になる献上を、その効き目のほうを見て見送りました。
この章句が説くこと
客に公に摹本して以て進むるを勧むる者有り之を修めば則ち已む安んぞ進むるを用いん昔豈に進むるを知らざらんや顧うに上方に四夷の事に銳意す当に更に之を導くべからざるのみ顧うに上方に四夷の事に鋭意す当に更に之を導くべからざるのみ自制
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