宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
王荆公與吕申公素相厚嘗曰吕十六不作相天下不太平及薦申公為中丞其辭以謂有八元八凱之賢未半年所論不同復謂有驩兠共工之姦荆公之喜怒如此蓋孫覺莘老嘗為上言今藩鎮大臣如此論列而遭挫折若唐末五代之際必有興晉陽之甲以除君側之惡者矣上已忘其人但記美鬚誤以為申公也
新字:王荆公与呂申公素相厚嘗曰呂十六不作相天下不太平及薦申公為中丞其辞以謂有八元八凱之賢未半年所論不同復謂有驩兠共工之姦荆公之喜怒如此蓋孫覚莘老嘗為上言今藩鎮大臣如此論列而遭挫折若唐末五代之際必有興晉陽之甲以除君側之悪者矣上已忘其人但記美鬚誤以為申公也
書き下し
王荊公は呂申公と素より相い厚し。嘗て曰く、呂十六相と作らずんば天下太平ならずと。申公を薦めて中丞と爲すに及び、其の辭に以謂えらく八元八凱の賢有りと。未だ半年ならずして論ずる所同じからず。復た謂えらく驩兜共工の姦有りと。荊公の喜怒此くの如し。蓋し孫覺莘老嘗て上の爲に言う、今藩鎮の大臣此くの如く論列して挫折に遭わば、唐末五代の際の若きは必ず晉陽の甲を興して以て君側の惡を除く者有らんと。上已に其の人を忘れ、但だ美鬚を記して誤りて以て申公と爲すなり。
現代語訳
王安石は呂公著ともとから親しかった。かつて言った。「呂十六が宰相にならなければ、天下は太平にならない」。呂公著を薦めて御史中丞とするとき、その文に「八元八凱の賢がある」と言った。半年もたたないうちに論じるところが食い違った。今度は「驩兜・共工のような姦がある」と言った。王安石の喜怒はこれほどであった。そもそも孫覚がかつて天子に向かって言ったのである。「いま地方の大臣がこのように論じ立てて挫折に遭えば、唐末五代のころのように、必ず晋陽の兵を起こして君側の悪を除こうとする者が出ましょう」。天子はすでにその人を忘れ、ただ立派な髭だけを覚えていて、誤って呂公著だと思ったのである。
解説
同じ人についての評が、半年で正反対になりました。しかも同じ口からです。**「八元八凱の賢がある」と言った。半年もたたないうちに、「驩兜・共工のような姦がある」と言った。**変わったのは人物ではなく、意見が合うかどうかだけでした。さらに前の条で罪とされた発言が、この条では別人のものと明かされます。**天子はすでにその人を忘れ、ただ立派な髭だけを覚えていて、誤って呂公著だと思ったのである。**
この章句が説くこと
呂十六相と作らずんば天下太平ならず其の辞に以謂えらく八元八凱の賢有り未だ半年ならずして論ずる所同じからず復た謂えらく驩兜共工の姦有り上已に其の人を忘れ但だ美鬚を記して誤りて以て申公と為すなり評価反転
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