宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
魏公言公徳器深厚而寡言當時有得其品題一兩句者人皆以為榮琦為諌官時因納劄子忽云近日頻見章疏甚好只如此可矣向来如髙若訥輩多是擇利范希文亦未免近名要須純意于國事爾
新字:魏公言公徳器深厚而寡言当時有得其品題一両句者人皆以為栄琦為諌官時因納劄子忽云近日頻見章疏甚好只如此可矣向来如高若訥輩多是択利范希文亦未免近名要須純意于国事爾
書き下し
魏公言う、公の徳器は深厚にして寡言なり。當時、其の品題一兩句を得る者有らば、人皆な以て榮と為す。琦、諌官為る時、劄子を納むるに因り、忽ち云う、近日、頻りに章疏を見るに甚だ好し。只だ此くの如くにして可なり。向来、髙若訥の輩の如きは、多く是れ利を擇ぶ。范希文も亦た未だ名に近づくを免れず。要は須らく純ら國事に意あるべきのみと。
現代語訳
韓琦が言った。公の徳と器量は深く厚く、言葉が少なかった。当時、その人物評をひと言ふた言でも得られた者があれば、人はみなそれを名誉とした。韓琦が諫官であったとき、上書を提出したついでに、公は不意に言った。「近ごろ、しきりに君の上奏文を見るが、たいそう良い。ただこのようであればよい。これまでの高若訥のような者は、たいてい利のあるほうを選んでいる。范仲淹もやはり名声に近づくことを免れていない。要は、ひたすら国事だけに心を向けることだ」。
解説
言葉数の少ない人の評を、若い韓琦が受け取った条です。褒めたうえで、二人の名前を挙げて欠けを言っています。高若訥は利のあるほうを選ぶ、范仲淹も名声に近づくことを免れていない。范仲淹は当時すでに人望の高い人でした。それでも名に近い、と。締めの一行が基準です。要は、ひたすら国事だけに心を向けることだ。利でも名でもない、というだけの、しかし難しい線です。
この章句が説くこと
高若訥の輩の如きは多く是れ利を択ぶ范希文も亦た未だ名に近づくを免れず要は須らく純ら国事に意あるべきのみ利名声動機
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