宋名臣言行録 / 後集巻十・韓絳
熈寧二年九月夏羌大入慶州境公為陜西宣撫使裂諸路兵置七將間其無偹互出□之至是深入破敵者十七戰皆㨗招降數萬人
新字:熈寧二年九月夏羌大入慶州境公為陜西宣撫使裂諸路兵置七将間其無偹互出□之至是深入破敵者十七戦皆㨗招降数万人
書き下し
熙寧二年九月、夏羌大いに慶州の境に入る。公陝西宣撫使と爲り、諸路の兵を裂きて七將を置き、其の備え無きに間りて互いに出でて之を□つ。是に至りて深く入りて敵を破ること十七戰、皆捷つ。招降すること數萬人。
現代語訳
熙寧二年九月、西夏の兵が大挙して慶州の境に入った。公は陝西宣撫使となり、諸路の兵を分けて七人の将を置き、相手に備えのない隙を突いて交互に出て、これを〔一字を欠く〕った。この時に至って深く攻め入って敵を破ること十七戦、いずれも勝った。降伏を招いた者は数万人であった。
解説
五十二字に、やり方が一つだけ書かれています。**諸路の兵を分けて七人の将を置き、相手に備えのない隙を突いて交互に出て。**大軍を一度に出していません。七つに分けて、順番に出す。相手からすれば、どこから来るか分からず、常に備えていなければならなくなります。こちらは常に休んでいる部隊がある。結果が数字で置かれます。**破ること十七戦、いずれも勝った。降伏を招いた者は数万人。**
この章句が説くこと
熙寧二年九月夏羌大いに慶州の境に入る公陝西宣撫使と為り諸路の兵を裂きて七将を置く其の備え無きに間りて互いに出でて之をつ是に至りて深く入りて敵を破ること十七戦皆捷つ招降すること数万人分兵隙
関連する章句
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孫子・形篇孫子曰く、昔の善く戦う者は、まず不可勝を為して、以て敵の可勝を待つ。
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