宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公於經術務究大本所發明簡易明白論詩曰察其羙刺知其善惡以為勸戒所謂聖人之志者本也因其失傳妄自為之說者經師之末也今學者得其本而通其末斯善矣得其本不通其末闕其所疑可也不求異於諸儒嘗曰先儒於經不能無失而所得者固多矣盡其說而理有不通然後得以論正予非好為異論也其於詩易多所發明為詩本義所改百餘篇其餘則曰毛鄭之說是矣復何云乎
新字:公於経術務究大本所発明簡易明白論詩曰察其羙刺知其善悪以為勧戒所謂聖人之志者本也因其失伝妄自為之説者経師之末也今学者得其本而通其末斯善矣得其本不通其末闕其所疑可也不求異於諸儒嘗曰先儒於経不能無失而所得者固多矣尽其説而理有不通然後得以論正予非好為異論也其於詩易多所発明為詩本義所改百余篇其余則曰毛鄭之説是矣復何云乎
書き下し
公經術に於いて大本を究むるに務む。發明する所簡易明白なり。詩を論じて曰く、其の美刺を察して其の善惡を知り、以て勸戒と爲す。所謂聖人の志なる者は本なり。其の失傳に因りて妄りに自ら之が說を爲す者は經師の末なり。今學ぶ者、其の本を得て其の末に通ずれば斯れ善し。其の本を得て其の末に通ぜずんば、其の疑う所を闕くも可なり。諸儒に異なるを求めずと。嘗て曰く、先儒の經に於けるは失無き能わず。而れども得る所の者は固より多し。其の說を盡くして理に通ぜざる有り、然る後に得て之を論正す。予は異論を爲すを好むに非ざるなりと。其の詩・易に於けるは發明する所多し。詩本義を爲して改むる所百餘篇。其の餘は則ち曰く、毛・鄭の說是なり。復た何をか云わんやと。
現代語訳
欧陽脩は経学において根本を究めることに努めた。明らかにしたところは平易ではっきりしていた。詩について論じて言った。「その褒めと諷刺を見てその善悪を知り、それを戒めとする。いわゆる聖人の志というものが根本である。その伝承が失われたことに乗じて、勝手に自分で説を立てるのは、経師の末である。いま学ぶ者は、根本を得てその末にも通じれば、それがよい。根本を得て末に通じないなら、疑わしいところは空けておいてよい。先の学者たちと違うことを言おうとする必要はない」。かつて言った。「先の儒者の経典の解釈に、誤りがないことはあり得ない。しかし得ているところはもとより多い。その説を尽くしてなお道理が通らないところがあり、そこではじめて論じ正すことができる。私は異論を立てるのが好きなのではない」。その『詩』と『易』については明らかにしたところが多い。『詩本義』を著して改めたのは百余篇。その他については、こう言った。「毛萇と鄭玄の説で正しい。それ以上、何を言うことがあろうか」。
解説
この章句が説くこと
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