宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
王元之之子嘉祐為館職平時若愚騃獨公知之喜與之語公知開封府一旦問嘉祐曰外人謂劣丈云何嘉祐曰外人皆云丈人旦夕入相公曰于吾子意何如嘉祐曰以愚觀之丈人不若未為相為善相則譽望損矣公曰何故曰自古賢相所以能建功業澤生民者其君臣相得如魚之有水故言聴計從而功名俱美今丈人負天下重望相則中外有太平之責焉丈人之于明主能若魚之有水乎此嘉祐所以恐譽望之損也公喜起執其手曰元之雖文章冠天下至于深識逺慮殆不能勝吾子
新字:王元之之子嘉祐為館職平時若愚騃独公知之喜与之語公知開封府一旦問嘉祐曰外人謂劣丈云何嘉祐曰外人皆云丈人旦夕入相公曰于吾子意何如嘉祐曰以愚観之丈人不若未為相為善相則誉望損矣公曰何故曰自古賢相所以能建功業沢生民者其君臣相得如魚之有水故言聴計従而功名倶美今丈人負天下重望相則中外有太平之責焉丈人之于明主能若魚之有水乎此嘉祐所以恐誉望之損也公喜起執其手曰元之雖文章冠天下至于深識遠慮殆不能勝吾子
書き下し
王元之の子嘉祐、館職と為る。平時愚騃の若し。獨り公のみ之を知り、喜びて之と語る。公、開封府を知る。一旦、嘉祐に問いて曰く、外人、劣丈を謂うこと云何と。嘉祐曰く、外人皆な云う、丈人旦夕に相に入らんと。公曰く、吾が子の意に于いては何如と。嘉祐曰く、愚を以て之を觀るに、丈人は未だ相と為らざるを善しと為すに若かず。相たれば則ち譽望損せん。公曰く、何の故ぞと。曰く、古よりの賢相の能く功業を建て生民を澤す所以の者は、其の君臣相い得ること魚の水有るが如し。故に言聴かれ計從われて功名俱に美なり。今、丈人は天下の重望を負う。相たれば則ち中外に太平の責め有らん。丈人の明主に于ける、能く魚の水有るが若くならんや。此れ嘉祐の譽望の損ぜんことを恐るる所以なりと。公喜びて起ちて其の手を執りて曰く、元之は文章天下に冠たりと雖も、深識遠慮に至りては、殆ど吾が子に勝る能わずと。
現代語訳
王禹偁の子の王嘉祐が館職にあった。ふだんは愚か者のようであった。ただ公だけがその値打ちを知って、喜んで語り合った。公が開封府の長官であったとき。ある日、王嘉祐に尋ねた。「世間の人は、この不出来な年寄りを何と言っているか」。王嘉祐は言った。「世間の人はみな、あなたさまは近いうちに宰相になられると言っております」。公は言った。「君の考えではどうか」。王嘉祐は言った。「愚かな私の見るところ、あなたさまは宰相にならないほうがよいでしょう。宰相になれば、名声と人望は損なわれます」。公は「なぜだ」と言った。「昔から、賢い宰相が功業を立てて民をうるおすことができたのは、君と臣が互いに得ることが、魚に水があるようであったからです。だから言葉は聴かれ計は従われて、功も名もともに美しかった。いま、あなたさまは天下の重い期待を背負っています。宰相になれば、内でも外でも太平にする責めを負わされます。あなたさまと明君との間柄は、魚に水があるようでしょうか。これが、私が名声と人望の損なわれることを恐れる理由です」。公は喜んで立ち上がり、その手を取って言った。「王禹偁は文章では天下一だったが、深い見識と遠い慮りにかけては、どうも君に及ばないようだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第3段第一、下等士族は何等の功績あるも何等の才力を抱くも、決して上等の席に昇進するを許さず。稀に祐筆などより立身して小姓組に入たる例もなきに非ざれども、治世二百五十年の間、三、五名に過ぎず。故に下等士族は、その下等中の黜陟に心を関して昇進を求れども、上等に入るの念は、もとよりこれを断絶して、その趣は走獣あえて飛鳥の便利を企望せざる者のごとし。また前にいえるごとく、大臣と小姓組との身分は大に異なるがごとくなれども、小姓組が立身して用人となりし例は珍らしからず。大臣の二、三男が家を分てば必ず小姓組たるの法なれば、必竟大臣も小姓組も同一種の士族といわざるを得ず。 また下等の中小姓と足軽との間にも甚しき区別あれども、足軽が小役人に立身してまた中小姓と為るは甚だ易し。しかのみならず百姓が中間と為り、中間が小頭となり、小頭の子が小役人と為れば、すなわち下等士族中に恥かしからぬ地位を占むべし。また足軽は一般に上等士族に対して、下座とて、雨中、往来に行逢うとき下駄を脱いで路傍に平伏するの法あり。足軽以上小役人格の者にても、大臣に逢えば下座平伏を法とす。啻に大臣のみならず、上士の用人役たる者に対しても、同様の礼をなさざるを得ず。また下士が上士の家に行けば、次の間より挨拶して後に同間に入り、上士が下士の家に行けば、座敷まで刀を持ち込むを法とす。 また文通に竪様、美様、平様、殿付け等の区別ありて、決してこれを変ずべからず。また言葉の称呼に、長少の別なく子供までも、上士の者が下士に対して貴様といえば、下士は上士に向てあなたといい、来やれといえば御いでなさいといい、足軽が平士に対し、徒士が大臣に対しては、直にその名をいうを許さず、一様に旦那様と呼て、その交際は正しく主僕の間のごとし。また上士の家には玄関敷台を構えて、下士にはこれを許さず。上士は騎馬し、下士は徒歩し、上士には猪狩川狩の権を与えて、下士にはこれを許さず。しかのみならず文学は下士の分にあらずとて、表向の願を以て他国に遊学するを許さざりしこともあり。
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『正法眼蔵随聞記』巻三一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に参じて、焼香礼拝して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禅師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禅僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の為か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり、仏法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
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『肝要工夫録』・昇進の手入れ是非ひらく、福壽草にも、手入かな。此句のごとく、同じ開く花も、手入によりて、早くも、又大輪にもひらく事なり。されども、室咲の花は、直に凋むの憂あり、唯だ水をかけ養ひをするの手入こそよけれ、人の昇進も、斯の如くにて、その勤むべき道を出精し、頭支配へも諂ふの意なく、深切にその理を以て尊敬するの類は、昇進を願ふものの手入か。賄賂を以て進まむと欲するの類は、室咲の花と同じく、直に凋み、身木も衰ふることとなり。俗人は昇進を願ふ心より、今日の行を大に愼むものなり。さらに靑雲氣なきものは、惡くあきらめ、筋さへ宜ければ何をしてもよき抔といふて、嫌疑もなく、終には人倫に背ける行も、仕出すものなり。さて又頭支配の恩を受け、昇進して、たとへ其人より高位に昇るとも、一旦恩を受けし人には、其恩をわすれず、生涯謝すべし。鳥獸すら、人の恩を知るものなり、しかるを、尊き人と生れ、恩を知らざるさへも、言語同斷なるに、まして俗にいへる、恩を仇にて報ふの類も少からず、何ぞ禽獸に恥ぢざらむや、淺ましき事なり。
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『韓非子』顯學第五十故に孔子曰く、「容を以て人を取らんか、之を子羽に失す、言を以て人を取らんか、之を宰予に失す。」・・・故に明主の吏・宰相は必ず州部より起こり、猛將は必ず卒伍より發る。
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『政談』出家の公事の事出家程公事を好むものはなし、第一死罪になる気遣ひなし、妻子の足手まとひなし、元来住所を定めぬものなれは追放悲ます、法問論議を仕なれて理強く我慢なる者なり、偖出家の公事を能く捌きても国家の治めの益にならず、悪しく捌きても害にもならず、詮もなきこと多し、本此の公事曹洞宗に多きことなり、勧請開山と云ふことあるより起ると也、勧請開山と云ふこと元来公事を巧みて仕たしたることなれは偽なり、宗派の祖師の御影を其の寺に据ゑ置くことはあるべし、住持もせぬ人を第一世にすることなるまじきことの第一停止あるべきことなり、臨済派は宗派を堅くまもる門宗派の寺より外へなをることならす、何れの派よりも本寺へ輪番する故寺の高下に搆はす僧臘次第なり、故に公事少し、曹洞宗は伽藍相続と云ふことをして宗派乱れたる故、寺々格を守り、僧臘に搆はす本寺へもなをるなるによりて、寺法の害になる也、惣して寺を争ひ、金銀を争ふことは仏法に背くことなれは、公事には勝ちたりとも綸旨口帖を奪ふて平僧とすべきことなり、其の出家は徒刑たるへし、然らば自から出家の公事少くなるべし、
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史記 樊酈滕灌列伝舞陽侯樊噲は、沛の人なり。狗を屠るを以て事と為し、高祖と倶に隠る。初め高祖に従ひて豊に起ち、沛を攻め下す。高祖沛公と為り、噲を以て舎人と為す。従ひて胡陵・方与を攻め、還りて豊を守り、泗水の監を豊の下に撃ちて、之を破る。復た東して沛を定め、泗水の守を薛の西に破る。司馬夷と碭の東に戦ひ、敵を卻け、首を斬ること十五級、爵国大夫を賜はる。常に従ひ、沛公章邯の軍を濮陽に撃つに、城を攻めて先登し、首を斬ること二十三級、爵列大夫を賜はる。復た常に従ひ、従ひて城陽を攻め、先登す。戸牖を下し、李由の軍を破り、首を斬ること十六級、上間の爵を賜はる。従ひて東郡の守・尉を成武に攻め囲み、敵を卻け、首を斬ること十四級、虜を捕ふること十一人、爵五大夫を賜はる。従ひて秦軍を撃ち、亳の南に出づ。河間の守の軍を杠里に撃ちて、之を破る。趙賁の軍を開封の北に撃破し、敵を卻け先登せるを以て、候一人・首六十八級を斬り、虜を捕ふること二十七人、爵卿を賜はる。従ひて楊熊の軍を曲遇に攻め破る。宛陵を攻め、先登し、首を斬ること八級、虜を捕ふること四十四人、爵を賜はり賢成君と封号す。従ひて長社・轘轅を攻め、河津を絶ち、東して秦軍を尸に攻め、南して秦軍を犨に攻む。南陽の守齮を陽城に破る。東して宛城を攻め、先登す。西して酈に至り、敵を卻けたるを以て、首を斬ること二十四級、虜を捕ふること四十人、重ねて封を賜はる。武関を攻め、霸上に至り、都尉一人・首十級を斬り、虜を捕ふること百四十六人、卒を降すこと二千九百人。

人生を、一行の式にしてみた。
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