宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳無巳
傅公欽之初為吏部侍郎聞師道遊京師欲與相見先以問秦觀觀曰師道非持刺字俛理色伺候乎公卿之門者殆難致也公曰非所望也吾将見之懼其不吾見也子能介於陳君乎公知其貧甚因懷金餽之及覩其貎聽其論議竟不敢以出口
新字:傅公欽之初為吏部侍郎聞師道遊京師欲与相見先以問秦観観曰師道非持刺字俛理色伺候乎公卿之門者殆難致也公曰非所望也吾将見之懼其不吾見也子能介於陳君乎公知其貧甚因懐金餽之及睹其貎聴其論議竟不敢以出口
書き下し
傅公欽之初め吏部侍郎爲り。師道の京師に遊ぶを聞き、與に相い見えんと欲す。先ず以て秦觀に問う。觀曰く、師道は刺字を持し理色を俛して公卿の門に伺候する者に非ず。殆ど致し難からん、と。公曰く、望む所に非ざるなり。吾將に之に見えんとす。其の吾に見えざるを懼るるなり。子能く陳君に介せんか、と。公其の貧甚だしきを知り、因りて金を懷にして之に餽らんとす。其の貌を覩、其の論議を聽くに及び、竟に敢えて以て口に出ださず。
現代語訳
傅堯兪ははじめ吏部侍郎であった。陳師道が都に遊学していると聞き、会いたいと思った。まず秦観に相談した。秦観は言った。「師道は、名刺を持ち、顔つきをへりくだらせて公卿の門に伺候するような人ではありません。おそらく招くのは難しいでしょう」。傅堯兪は言った。「そういうことを望んでいるのではない。私のほうが会いに行こうというのだ。むしろ、彼が私に会ってくれないことを恐れている。君は陳君に取り次いでくれないか」。傅堯兪はその貧しさがひどいことを知って、そこで金を懐に入れて贈ろうとした。だがその顔かたちを見、その議論を聞くに及んで、とうとうそれを口に出すことができなかった。
解説
地位のある側が、会う姿勢を先に改めています。**私のほうが会いに行こうというのだ。むしろ、彼が私に会ってくれないことを恐れている。**そのうえで、貧しさを見かねて金を用意しました。ここまでは善意です。ところが会ってみて、渡せませんでした。**その顔かたちを見、その議論を聞くに及んで、とうとうそれを口に出すことができなかった。**断られたのではありません。切り出せなかった。人の佇まいが、渡す側の手を止めています。
この章句が説くこと
師道は刺字を持し理色を俛して公卿の門に伺候する者に非ず殆ど致し難からん吾将に之に見えんとす其の吾に見えざるを懼るるなり公其の貧甚だしきを知り因りて金を懐にして之に餽らんとす其の貌を睹其の論議を聴くに及び竟に敢えて以て口に出ださず贈与佇まい
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