宋名臣言行録 / 前集巻三・陳恕
公總領計司多年每便殿奏事太宗或未深察必形誚讓公歛板踧縮退至殿壁負墻而立若無所容俟帝意稍解復進慤執前奏終不改易如是或至三四上以其忠亮多從其議故當時言稱職者公為之首
新字:公総領計司多年毎便殿奏事太宗或未深察必形誚譲公歛板踧縮退至殿壁負墻而立若無所容俟帝意稍解復進慤執前奏終不改易如是或至三四上以其忠亮多従其議故当時言称職者公為之首
書き下し
公、計司を總領すること多年。便殿に事を奏する毎に、太宗或いは未だ深く察せずして必ず誚讓を形わす。公板を歛め踧縮して退き、殿壁に至り墻を負いて立ち、容るる所無きが若し。帝の意稍く解くるを俟ちて復た進み、慤かに前奏を執りて終に改易せず。是くの如くすること或いは三四に至る。上、其の忠亮を以て多く其の議に從う。故に當時、稱職を言う者は公之が首と為る。
現代語訳
公は財務の官庁を長年統括した。便殿で奏上するたび、太宗はときに深く察しないまま必ず叱責の色を見せた。公は笏を収めて縮こまって退き、殿の壁まで下がって背をつけて立ち、身の置きどころが無いようであった。帝の気持ちが少しやわらぐのを待ってふたたび進み、まじめに先の奏上を守って、最後まで変えなかった。こういうことが三度四度に及ぶこともあった。帝はその忠実さと誠実さゆえに、多くはその議に従った。だから当時、職に称っている者として、公が第一に挙げられた。
解説
叱られては壁際まで下がり、また戻って同じことを言った条です。**縮こまって退き、殿の壁に背をつけて立ち、機嫌がやわらぐのを待ってふたたび進む。**それを三度四度繰り返し、最後まで奏上の中身は変えませんでした。趙普が破られた奏状を貼り合わせた条と同じ型ですが、こちらは態度が徹底して低い。低い姿勢と変えない中身が、同じ人の中に同居しています。
この章句が説くこと
殿壁に至り墻を負いて立ち容るる所無きが若し帝の意稍く解くるを俟ちて復た進み慤かに前奏を執りて終に改易せず是くの如くすること或いは三四に至る粘り姿勢諫言
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻九・田錫太宗、嘗て侍臣と皇王の道を論ず。錫、奏して曰く、皇王の道は㣲妙にして曠闊なり。今、太原を師平してより茲に二載、未だ軍功を賞せず。願わくは郊籍に因りて功を議して之に酬いよ。乞う、交州の戍兵を罷めて、生民を驅りて瘴嶺の鬼と爲すを免れよと。上、嘉納す。趙普、國に當たる。錫、之に謁して曰く、公、元勲を以て國に當たる。宜しく損檢を事とすべし。今、羣臣の書奏、先ず中書を經るは、既に尊王の體に非ず。諫官の章疏、閤門をして狀を填めしむるは、尤も臺憲の風を弱くす。皆な便ならずと。普、咎を引きて容を正し、厚く謝して皆な之を罷む。
-
『宋名臣言行録』前集巻五・薛奎明肅太后、衮冕を以て太廟に謁せんと欲す。諌疏交々上る。宰臣、議を執る。俱に之を聴かず。公は關右の人なり。語氣明直にして文らず。其の談、獨り簾外に於て口ずから奏して曰く、陛下、大謁の日、還た漢兒の拜を作すか、女兒の拜を作すかと。明肅答うる無し。是の夕、報じて罷む。
-
葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
-
荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
-
葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。