宋名臣言行録 / 前集巻一・李昉
昉在周朝知開封府人望已歸太祖而昉獨不附王師入京昉又獨不朝貶道州司馬三嵗徙延州别駕在延州為生業以老三嵗當徙不願内徙後二年宰相奏其可大用召判兵部昉五辭既至上勞之昉曰臣前日知事周而已今以事周之心事陛下上大喜曰宰相不謬薦人
新字:昉在周朝知開封府人望已帰太祖而昉独不附王師入京昉又独不朝貶道州司馬三歳徙延州別駕在延州為生業以老三歳当徙不願内徙後二年宰相奏其可大用召判兵部昉五辞既至上労之昉曰臣前日知事周而已今以事周之心事陛下上大喜曰宰相不謬薦人
書き下し
昉、周朝に在り開封を知る。人望已に太祖に歸す。而るに昉獨り附かず。王師京に入る。昉又た獨り朝せず。道州の司馬に貶せらる。三歳にして延州の别駕に徙る。延州に在りて生業を為して以て老いんとす。三歳にして當に徙るべきも、内に徙るを願わず。後二年、宰相其の大いに用う可きを奏す。召して兵部を判せしむ。昉五たび辭す。既に至りて上之を勞う。昉曰く、臣前日は事うるを周のみと知る。今、周に事えしの心を以て陛下に事えんと。上大いに喜びて曰く、宰相は人を薦むるに謬らずと。
現代語訳
李昉は後周にあって開封府の長官であった。人望はすでに太祖に集まっていた。それでも李昉だけは近づかなかった。王師が都に入ったとき、李昉はまた一人だけ参内しなかった。道州の司馬に落とされた。三年で延州の別駕に移された。延州で生計を立てて老いようとしていた。三年たって移るべき時になったが、内地へ移ることを願わなかった。二年後、宰相が彼を大いに用いるべきだと奏上した。召して兵部の裁決に当たらせた。李昉は五度辞退した。参上すると、太祖はねぎらった。李昉は言った。「臣は先日まで、仕えるのは周だけだと思っておりました。いまは周に仕えた心をもって陛下にお仕えいたします」。太祖は大いに喜んで言った。「宰相は人を薦めるのに誤らなかった」。
解説
前王朝に義理立てして一人だけ動かなかった人の条です。人望が新しい側に集まっても近づかず、都が落ちても参内しない。落とされて五年、地方で老いるつもりでいました。呼ばれて五度辞退したあと、参上して言ったのが一行です。**先日までは仕えるのは周だけだと思っていた、いまは周に仕えた心をもって陛下に仕える。**転じたことを隠さず、変えないものだけを言っています。太祖の喜び方もそこに向いていました。
この章句が説くこと
臣前日は事うるを周のみと知る今周に事えしの心を以て陛下に事えん人望已に太祖に帰するも昉独り附かず宰相は人を薦むるに謬らず忠節転身一貫
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