宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公又言賞罰當從中書出今數聞有内降不可不止玉曾蔡齊宋綬當世名臣宜大用上納其說王沂公見公論事切直有本末謂公曰比年臺諌官多畏避為自安計不則激發近名如君固不負所職諫官宜若此沂公天下正人公得此益自信
新字:公又言賞罰当従中書出今数聞有内降不可不止玉曽蔡斉宋綬当世名臣宜大用上納其説王沂公見公論事切直有本末謂公曰比年台諌官多畏避為自安計不則激発近名如君固不負所職諫官宜若此沂公天下正人公得此益自信
書き下し
公又た言う、賞罰は當に中書より出づべし。今數ミ内降有るを聞く、止めざる可からずと。王曾・蔡齊・宋綬は當世の名臣なり、宜しく大いに用うべしと。上其の説を納る。王沂公、公の事を論ずるに切直にして本末有るを見て、公に謂いて曰く、比年、臺諫の官は多く畏避して自ら安んずるの計を爲す。然らずんば則ち激發して名に近づく。君の如きは固より其の職に負かず。諫官宜しく此くの若くなるべしと。沂公は天下の正人なり。公此れを得て益ミ自ら信ず。
現代語訳
韓琦はまた言った。「賞罰は中書省から出るべきです。いまたびたび、宮中から直接下される命令があると聞きます。やめさせなければなりません」。「王曾・蔡斉・宋綬は当代の名臣です。大いに用いるべきです」。天子はその説を容れた。王曾は、韓琦の議論が切実で率直で、筋の初めと終わりが通っているのを見て、こう言った。「近年、御史や諫官は、たいてい怖がって避け、自分の身を安んじる計を立てる。そうでなければ、激しく言い立てて名を求める。君のような者こそ、その職分に背いていない。諫官はこうあるべきだ」。王曾は天下の正しい人である。韓琦はこの言葉を得て、ますます自分を信じた。
解説
諫官が落ちる二つの型が、ここで名指しされています。怖がって避け、自分の身を安んじる計を立てる。そうでなければ、激しく言い立てて名を求める。黙るか、騒ぐか。どちらも結局は自分のためです。君のような者こそ、その職分に背いていない。言ったのは王曾で、この条の前半で韓琦が「大いに用いるべきだ」と推した当人でもある。褒められた側の受け止め方も一行だけ書かれています。韓琦はこの言葉を得て、ますます自分を信じた。(底本は「玉曾」に作りますが王曾のことです。)
この章句が説くこと
賞罰は当に中書より出づべし今数ミ内降有るを聞く台諫の官は多く畏避して自ら安んずるの計を為す然らずんば則ち激発して名に近づく諫官保身名声
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