宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
仁宗初年王沂公吕申公為政猶持此論自設六科以來士之翹秀者皆争論國政之長短二公既罷則輕鋭之士稍稍得進漸為竒論以撼朝廷朝廷往往為之動摇廟堂之淺深既可得而知而好名喜事之人勝矣申公雖復作相然不能守其舊俗意雖不喜而亦從風靡矣
新字:仁宗初年王沂公呂申公為政猶持此論自設六科以来士之翹秀者皆争論国政之長短二公既罷則軽鋭之士稍稍得進漸為奇論以撼朝廷朝廷往往為之動摇廟堂之浅深既可得而知而好名喜事之人勝矣申公雖復作相然不能守其旧俗意雖不喜而亦従風靡矣
書き下し
仁宗初年、王沂公・呂申公政を爲し、猶お此の論を持す。六科を設けてより以來、士の翹秀なる者は皆國政の長短を爭論す。二公既に罷むれば、則ち輕鋭の士稍稍進むを得、漸く奇論を爲して以て朝廷を撼かす。朝廷往往之が爲に動搖す。廟堂の淺深既に得て知る可くして、名を好み事を喜ぶの人勝てり。申公復た相と作ると雖も、然れども其の舊俗を守る能わず。意喜ばずと雖も、亦た風に從いて靡けり。
現代語訳
仁宗の初年、王曾と呂夷簡が政を執り、なおこの論を保っていた。六科を設けて以来、士のうち抜きん出た者はみな国政の長短を争って論じるようになった。二人が退くと、鋭くて軽い士がしだいに進み出て、次第に奇抜な議論をもって朝廷を揺さぶった。朝廷はしばしばそれによって動揺した。政府の底の深さ浅さが読めるようになって、名を好み事を起こしたがる人が勝つようになった。呂夷簡はふたたび宰相となったが、もはや旧来の風を守ることができなかった。内心は喜ばなくとも、やはり風に従ってなびいた。
解説
揺さぶりが効くようになった転換点を、一行で言い当てています。**政府の底の深さ浅さが読めるようになって、名を好み事を起こしたがる人が勝つようになった。**どこまで押せば動くかが分かれば、押す技術のある人が有利になります。中身の良し悪しではなく、押し方の巧拙で決まりはじめる。しかも、それを嫌っていた当人まで飲まれました。**呂夷簡はふたたび宰相となったが、もはや旧来の風を守ることができなかった。内心は喜ばなくとも、やはり風に従ってなびいた。**
この章句が説くこと
六科を設けてより以来士の翹秀なる者は皆国政の長短を争論す軽鋭の士稍稍進むを得漸く奇論を為して以て朝廷を撼かす廟堂の浅深既に得て知る可くして名を好み事を喜ぶの人勝てり意喜ばずと雖も亦た風に従いて靡けり権威議論
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