宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
久旱不雨公度将来必闕食遂盡籍境内客舟召其主而諭之曰民将無食爾等商販唯以五榖貯於佛寺中□闕食時吾為汝主糶衆賈從命運販不停以至春首所蓄無慮十數萬諸縣饑獨境内之民不知也
新字:久旱不雨公度将来必闕食遂尽籍境内客舟召其主而諭之曰民将無食爾等商販唯以五榖貯於仏寺中□闕食時吾為汝主糶衆賈従命運販不停以至春首所蓄無慮十数万諸県饑独境内之民不知也
書き下し
久しく旱して雨ふらず。公将來必ず食を闕かんと度る。遂に盡く境内の客舟を籍し、其の主を召して之に諭して曰く、民将に食無からんとす。爾等商販するに唯だ五穀を以てせよ。佛寺の中に貯え、□食を闕く時、吾汝が爲に糶るを主らんと。衆賈命に從い運販すること停まらず。以て春首に至り、蓄うる所は無慮十數萬。諸縣饑うるも獨り境内の民のみ知らざるなり。
現代語訳
長く旱が続いて雨が降らなかった。公は将来必ず食糧が欠けると見積もった。そこで管内の商船をすべて登録し、その持ち主を呼んで諭して言った。「民はまもなく食べるものがなくなる。おまえたちが商いをするなら、五穀だけにせよ。寺の中に蓄えておけ。〔一字を欠く〕食糧が欠けるときは、私がおまえたちのために売りさばく役を引き受ける」。商人たちは命に従い、運んで商うことが止まらなかった。春のはじめに至って、蓄えられたものはおよそ十数万に及んだ。諸県は飢えたが、ただ管内の民だけが飢えを知らなかった。
解説
官が買い集めたのではありません。商人に運ばせました。ただし、二つの条件を付けています。**おまえたちが商いをするなら、五穀だけにせよ。****寺の中に蓄えておけ。**そして商人がいちばん恐れることを、自分が引き受けました。**食糧が欠けるときは、私がおまえたちのために売りさばく役を引き受ける。**売れ残る心配も、値崩れの心配もなくなる。だから運び続けました。結果が最後の一行です。
この章句が説くこと
久しく旱して雨ふらず公将来必ず食を闕かんと度る遂に尽く境内の客舟を籍し其の主を召して之に諭す爾等商販するに唯だ五穀を以てせよ仏寺の中に貯えよ食を闕く時吾汝が為に糶るを主らん旱備蓄
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