宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
後復上疏面言臣向者進說陛下欣然無難色謂即行矣今寂無所聞此必有小人言陛下春秋鼎盛何□為此不祥之事小人無逺慮特欲倉卒之際援立其所厚善者耳唐自文宗以後立嗣皆出於左右之意至有稱定䇿國老門生天子者此禍可勝言哉上大感悟曰送中書
新字:後復上疏面言臣向者進説陛下欣然無難色謂即行矣今寂無所聞此必有小人言陛下春秋鼎盛何□為此不祥之事小人無遠慮特欲倉卒之際援立其所厚善者耳唐自文宗以後立嗣皆出於左右之意至有称定策国老門生天子者此禍可勝言哉上大感悟曰送中書
書き下し
後に復た上疏し面ミ言う、臣向者に説を進めしとき、陛下欣然として難色無く、即ち行わんと謂えり。今寂として聞く所無し。此れ必ず小人有りて、陛下は春秋鼎盛なり、何ぞ□此の不祥の事を爲さんと言えるならん。小人に遠慮無し。特に倉卒の際に其の厚善する所の者を援立せんと欲するのみ。唐は文宗より以後、嗣を立つるは皆左右の意より出づ。定策國老・門生天子と稱する有るに至る。此の禍勝げて言う可けんや。上大いに感悟して曰く、中書に送れと。
現代語訳
後にあらためて上疏し、面と向かって申し上げた。「臣が先ごろ意見を申し上げたとき、陛下は喜ばしげで難色もなく、すぐ行おうと仰せられました。いま何も聞こえてまいりません。これはきっと小人がいて、陛下はお年もお盛りだ、どうして〔一字を欠く〕このような不吉な事をなさるのか、と申したのでしょう。小人には先を見る目がありません。ただ、急な場面において自分が親しくしている者を担ぎ出したいだけです。唐は文宗より後、後嗣を立てるのがみな側近の意向から出ました。ついには『策を定めた国の元老、門下生である天子』と呼ばれるまでになりました。この禍は言い尽くせましょうか」。天子は大いに心を動かして言った。「中書へ送れ」。
解説
この章句が説くこと
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『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
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尚書・君牙嗚呼(ああ)!丕いに顕らかなるかな、文王の謨。丕いに承くるかな、武王の烈。我が後人を啓き佑け、咸く正を以てして欠くる罔し。爾惟れ敬みて乃の訓を明らかにし、用て先王に奉じ若へ。文・武の光命に対揚し、前人に追配せよ。』王若のごとく曰く、『君牙よ、乃惟れ先正に由り、旧典時れ式れ、民の治乱は茲に在り。乃の祖考の行ふ攸に率ひ、乃の辟の乂むる有るを昭らかにせよ。』
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『甲陽軍鑑』品第四十七其後仰出しには、彼落合彥助事曲淵に年こそおとりたりとも、武辺の事さのみおとる者にてなし、さるについて逍遥軒にとらせ候所に、曲淵が蔵前にて奉行どもに雑言の事赦免せしめてありとて、いつもさやう有べきと存、事下より上をはからふたる様子言語同断、口惜く思召し候、其上第一に彼彥助をあれほどの臆病者にて有べしとは御存知なし、
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『重職心得箇条』第四条先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此の事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引き合わすべし。仕癖の例格にても、其の通りにて能(よ)き事は其の通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病(つうへい)なるべし。
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『政談』奉公人年を僞る事当時十四五歳になるものゝいまた小身にて御奉公もせぬうちに死したるか、兼ねて年を偽りて十七満になりたるは其の人の伯父のあるをは差置とていとこちがいなどの二三歳なるを、他苗を搆はす年をます五六歳も偽りて養子に願へば、願ひの通り仰付けらるゝ事なり、然れは其の先祖の御奉公故に跡を立て玉ふにてはなくて、其の小身にて未た御奉公もせぬ十四五歳になるものゝ跡目を立て玉ふやうなり、是れ皆法の立やう悪しき故跡目を立てらるゝ本意を忘れて例にかゝはる故なり、大名には家相続とて年にもかゝはらさる例あれとも、旗本を支配するともから此の例を引かぬは、ひろく例をも考へす、唯我か扱ひ習ひたる仕くせしかけにて申し立つれは何の詮議も無きこと、是亦当時は何もかも願ひと云事はやる故なり、且又次男三男を他苗にても養子にやりたきと人々のぞみをかけて其支配の頭に頼む故、頼れたるか黙しかたくて斯の如く仕なすもあるへし、此等は願ひに搆はす其の支配同苗の親類はなきかと吟味して申し立つへきこと也、畢竟文盲なれは同苗にても苗他にても跡さへ立ては同しこと也と心得る故もあるへし、
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 王子朝の檄文天周を弔(あはれ)まず、王昏くして若(したが)はず、用って厥の位を愆(うしな)ふ。攜王(けいおう)命を奸(をか)す。諸侯之を替へて、王嗣を建て、用って郟鄏(こうじょく)に遷る。則ち是れ兄弟の能く力を王室に用ふるなり。惠王に至り、天周を靖んぜず、頹に禍心を生じ、叔帶に施(およ)ぶ。惠・襄難を辟け、王都を越え去る。則ち晉・鄭有りて、咸(みな)不端を黜け、以って王家を綏定す。則ち是れ兄弟の能く先王の命に率ふなり。定王の六年に在りて、秦人妖を降して曰く、『周其れ髭王有らん。亦た克く其の職を脩め、諸侯服享し、二世職を共にせん。王室其れ王位を間(うかが)ふもの有らん。諸侯圖らずして、其の亂災を受けん』と。靈王に至り、生まれながらにして髭有り。王甚だ神聖にして、諸侯に惡まるること無し。靈王・景王、克く其の世を終ふ。今王室亂る。單旗・劉狄、天下を剝亂し、壹に若はざるを行ひ、謂ふ、『先王何の常か之れ有らん。唯だ余が心の命ずる所なり。其れ誰か敢へて之を請はん』と。群不弔の人を帥ゐて、以って亂を王室に行ひ、侵欲厭くこと無く、規求度無し。

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