宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
神宗即位首擢公為翰林學士公力辭不許上面諭公古之君子或學而不文或文而不學惟董仲舒揚雄兼之卿有文學何辭為公曰臣不能為四六上曰如兩漢制詔可也公曰本朝故事不可上曰卿能舉進士取髙等而云不能四六何也公趨出上遣内臣至閤門強公受告拜而不受趣公入謝曰上坐以待公公入至庭中以告置公懷中不得巳乃受
新字:神宗即位首擢公為翰林学士公力辞不許上面諭公古之君子或学而不文或文而不学惟董仲舒揚雄兼之卿有文学何辞為公曰臣不能為四六上曰如両漢制詔可也公曰本朝故事不可上曰卿能舉進士取高等而云不能四六何也公趨出上遣内臣至閤門強公受告拝而不受趣公入謝曰上坐以待公公入至庭中以告置公懐中不得巳乃受
書き下し
神宗即位す。首めて公を擢んで翰林學士と爲す。公力めて辭するも許されず。上面ミ諭す、古の君子は或いは學んで文ならず、或いは文にして學ばず。惟だ董仲舒・揚雄のみ之を兼ぬ。卿には文學有り。何ぞ辭するを爲すやと。公曰く、臣は四六を爲す能わずと。上曰く、兩漢の制詔の如きにて可なりと。公曰く、本朝の故事は不可なりと。上曰く、卿は能く進士に舉げられて髙等を取る。而るに四六を能くせずと云うは何ぞやと。公趨り出づ。上内臣を遣わして閤門に至らしめ、強いて公に告を受けしむ。拜して受けず。公を趣して入りて謝せしむ。曰く、上坐して以て公を待つと。公入りて庭中に至る。告を以て公の懷中に置く。已むを得ずして乃ち受く。
現代語訳
神宗が即位した。まっさきに司馬光を抜擢して翰林学士とした。司馬光は力を尽くして辞退したが許されなかった。天子は面と向かって諭した。「古の君子は、学んでも文がなかったり、文があっても学ばなかったりする。ただ董仲舒と揚雄だけがこれを兼ねた。卿には文と学がある。どうして辞退するのか」。司馬光は言った。「臣は四六文が作れません」。天子は言った。「前漢後漢の詔のような文でよい」。司馬光は言った。「本朝の先例では、それは通りません」。天子は言った。「卿は進士に挙げられて上位を取っている。それでいて四六ができないと言うのは、どういうことか」。司馬光は走り出た。天子は内臣を遣わして閤門へ行かせ、無理に辞令を受け取らせようとした。拝礼はしたが受け取らなかった。司馬光を促して、参内して礼を述べさせようとした。「主上は座ってあなたをお待ちだ」と言った。司馬光が入って庭の中まで来ると、辞令を司馬光の懐に押し込んだ。やむを得ず、そこで受けた。
解説
この章句が説くこと
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説苑・貴德景公嬰児の途に乞ふ有るを睹て、公曰く、「是れ帰る無からんか」と。晏子対へて曰く、「君存す何為れぞ帰る無からん、養はしめば、立ちどころにして以て聞こゆべし」と。
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論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
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牧民忠告・拜命吏人は蓋(けだ)し法律を以て師と為すなり。魏相(ぎしょう)の望隆(のぞ)み当世に隆(さか)んなりし所以は、漢家の典故悉(つ)くさざる所無ければなり。凡そ仕に学ぶ者、経史の余、若(も)しくは国朝以来の典章文物のごときも、亦須(すべから)く備(つぶさ)に考え詳らかに観るべし、一旦官に入らば、庶(ちか)からんか俗吏の迂(う)とする所と為らざらんことを。
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『韓非子』姦劫弒臣第十四世主は仁義の名を美として其の實を察せず、是を以て大なる者は國亡び身死し、小なる者は地削られ主卑し。
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牧民忠告・聽訟昔嘗て外に使いして、過ぐる所の州県、問いを待つ者門に雲集(うんしゅう)し、毎(つね)に焉(これ)を病めり。乃(すなわ)ち一能吏(のうり)に命じて其の告ぐる所を簿(ぼ)せしめ、日(ひび)に之を省(かえり)み、日に之を遣(や)る。旬(じゅん)を浹(めぐ)らざるに、則ち訟庭(しょうてい)闃然(げきぜん)たり。
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『塩鉄論』執務篇丞相曰く、先王の道は、軼くこと久しくして復し難く、賢良・文學の言は、深遠にして行い難し。夫れ上聖の高行を稱し、至德の美言を道うは、當世の能く及ぶ所に非ざるなり。願わくは方今の急務、政に復た行うべきものを聞かん。百姓をして咸な衣食に足り、乏困の憂い無く、風雨時あり、五穀熟し、螟螣生ぜず、天下安樂にして、盜賊起こらず、流人還り歸り、各々其の田里に反り、吏は皆廉正にして、敬みて以て職を奉じ、元元各々其の理を得しめんことを。