宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
初西人籍為鄉兵者數萬既而黥以為軍唯公所部但刺其手公去兵罷獨得復為民其于兩路既得熟羌為用使以守邉因徙屯兵就食内地而紓西人饋輓之勞其所設施去而人徳之與守其法不敢變者至今尤多
新字:初西人籍為郷兵者数万既而黥以為軍唯公所部但刺其手公去兵罷独得復為民其于両路既得熟羌為用使以守邉因徙屯兵就食内地而紓西人饋輓之労其所設施去而人徳之与守其法不敢変者至今尤多
書き下し
初め、西人の籍せられて鄉兵と為る者數萬。既にして黥して以て軍と為す。唯だ公の部する所のみ、但だ其の手に刺す。公去りて兵罷む。獨り復た民と為るを得たり。其の兩路に于いて、既に熟羌を得て用と為し、以て邉を守らしむ。因りて屯兵を徙して内地に就食せしめ、西人の饋輓の勞を紓ぶ。其の設施する所、去りて人之を徳とし、其の法を守りて敢えて變ぜざる者、今に至るまで尤も多し。
現代語訳
はじめ、西の民で登録されて郷兵となった者が数万いた。ほどなく刺青をして正規の軍とした。ただ公が統べていた部隊だけは、手のひらに刺した。公が去って兵役が解かれた。その者たちだけが、また民に戻ることができた。二つの路においては、帰順した羌族を得て使い、辺境を守らせた。そこで駐屯の兵を移して内地で食べさせ、西の民が兵糧を運ぶ労を緩めた。その施した仕組みは、去った後も人がそれを徳とし、その法を守ってあえて変えない者が、いまに至るまでとりわけ多い。
解説
刺青を、顔ではなく手のひらに刺した条です。それだけの違いでした。兵役が解かれたとき、その者たちだけが、また民に戻ることができた。顔に入っていれば、戻れません。徴用するときに、終わったあとのことまで決めていたわけです。制度を作る人が、その制度から人が抜けるときのことを考えていたかどうか。数万人の人生が、刺す場所ひとつで変わりました。
この章句が説くこと
既にして黥して以て軍と為す唯だ公の部する所のみ但だ其の手に刺す公去りて兵罷む独り復た民と為るを得たり徴兵出口配慮
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