宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公幼時與羣兒擊毬一兒擊毬入柱穴中不能取公以水灌之毬浮出司馬温公幼與羣兒戱一兒墮大水甕中巳沒羣兒驚走不能救公取石破甕兒得出識者知二公之仁智不凡矣
新字:公幼時与羣児撃毬一児撃毬入柱穴中不能取公以水灌之毬浮出司馬温公幼与羣児戱一児堕大水甕中巳没羣児驚走不能救公取石破甕児得出識者知二公之仁智不凡矣
書き下し
公幼き時、羣兒と毬を撃つ。一兒毬を撃ちて柱の穴中に入り、取る能わず。公水を以て之に灌ぐ。毬浮かび出づ。司馬溫公幼くして羣兒と戲る。一兒大水甕の中に墮ちて已に沒す。羣兒驚き走りて救う能わず。公石を取りて甕を破る。兒出づるを得たり。識者、二公の仁智の凡ならざるを知る。
現代語訳
文彦博は幼いとき、子供たちと毬を打っていた。一人が打った毬が柱の穴の中に入り、取り出せなくなった。文彦博は水を注ぎ込んだ。毬は浮かんで出てきた。司馬光は幼いころ、子供たちと遊んでいた。一人が大きな水甕の中に落ちて、もう沈んでしまった。子供たちは驚いて逃げ、助けられなかった。司馬光は石を取って甕を割った。子供は出ることができた。見識ある者は、二人の仁と智が並でないことを知った。
解説
二つの有名な話が並べて置かれています。どちらも「取り出せない」場面ですが、手が違う。文彦博は器を壊さずに、水を入れて中身を上げました。司馬光は器を壊して、中身を出しました。文彦博は水を注ぎ込んだ。毬は浮かんで出てきた。司馬光は石を取って甕を割った。毬なら壊さずに済ませ、人なら迷わず壊す。並べた編者は、二人の資質の違いというより、対象に応じて手が変わる例として置いています。二人の仁と智が並でないことを知った。
この章句が説くこと
一児毬を撃ちて柱の穴中に入り取る能わず公水を以て之に灌ぐ毬浮かび出づ一児大水甕の中に堕ちて已に没す公石を取りて甕を破る児出づるを得たり機転幼年
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