宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
陶言公不押常朝班為䟦扈帝遣近臣以陶言示公公奏曰臣非䟦扈者陛下遣一小黄門至則可縛臣矣帝為之動出陶知陳州
書き下し
陶、公の常朝の班を押さざるを言いて跋扈と爲す。帝、近臣を遣わし陶の言を以て公に示す。公奏して曰く、臣は跋扈する者に非ず。陛下一の小黄門を遣わして至らば、則ち臣を縛る可きなりと。帝之が爲に動く。陶を出して陳州を知らしむ。
現代語訳
王陶は、韓琦が常朝の班を押さないのは専横のふるまいだと言い立てた。天子は近臣を遣わして、王陶の言葉を韓琦に示した。韓琦は奏上して言った。「臣は専横する者ではありません。陛下が小者の宦官を一人お遣わしになれば、それだけで臣を縛ることができます」。天子はこれに心を動かされた。王陶を出して陳州の知事とした。
解説
専横していないと言葉で否定しても、水掛け論にしかなりません。韓琦が出したのは、確かめられる形でした。**陛下が小者の宦官を一人お遣わしになれば、それだけで臣を縛ることができます。**本当に力を握っている者なら、一人では縛れない。縛れるという事実そのものが、握っていない証拠になります。しかも自分から進んで、その状態に身を置いてみせた。二十字ほどで疑いが片づき、告発した側が地方に出されました。
この章句が説くこと
公の常朝の班を押さざるを言いて跋扈と為す臣は跋扈する者に非ず陛下一の小黄門を遣わして至らば則ち臣を縛る可きなり帝之が為に動く弁明権力
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