宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
又曰沂公為相論其事則無可數者論其人則天下信之以為賢相申公以進賢自任恩歸於己時士皆出其籠絡獨歐范尹旋收旋失之終不受其籠絡
新字:又曰沂公為相論其事則無可数者論其人則天下信之以為賢相申公以進賢自任恩帰於己時士皆出其籠絡独欧范尹旋収旋失之終不受其籠絡
書き下し
又た曰く、沂公の相と爲るや、其の事を論ずれば則ち數う可き者無し。其の人を論ずれば則ち天下之を信じて以て賢相と爲す。申公は賢を進むるを以て自ら任じ、恩は己に歸す。時の士は皆其の籠絡より出づ。獨り歐・范・尹のみ旋ち收め旋ち之を失い、終に其の籠絡を受けずと。
現代語訳
またこう言った。「王曾が宰相であったときのことは、その事績を論じれば、数え上げるほどのものがない。しかしその人を論じれば、天下がこれを信じて賢相とした。呂夷簡は賢者を引き上げることを自らの任とし、その恩は自分に帰した。当時の士はみな、その囲い込みから出た。ただ欧陽脩・范仲淹・尹洙だけが、引き入れられてはすぐ離れ、ついにその囲い込みを受けなかった」。
解説
二人の宰相を、業績ではなく残り方で比べています。王曾には数えられる功績がありません。その事績を論じれば、数え上げるほどのものがない。しかしその人を論じれば、天下がこれを信じて賢相とした。呂夷簡は逆でした。人材を引き上げる仕事を熱心にやっています。ただし行き先が違いました。その恩は自分に帰した。当時の士はみな、その囲い込みから出た。同じ「賢者を進める」でも、恩を自分に集めれば派閥になります。前に見た、推薦を本人に伝えなかった条の対極が、ここに置かれています。
この章句が説くこと
沂公の相と為るや其の事を論ずれば則ち数う可き者無し其の人を論ずれば則ち天下之を信じて以て賢相と為す申公は賢を進むるを以て自ら任じ恩は己に帰す独り欧范尹のみ終に其の籠絡を受けず人望業績
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