宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
盖是時荆公已有寵勸帝用兵以威四夷於是用王韶取熈河以窺靈夏結髙麗以圗大遼又用章惇取湖北夔峽之蠻又用劉彛沈起窺交趾二人造戰艦於富良江上交趾偵知先浮海載兵䧟㢘州又破邕州害守臣蘇緘屠其城掠生口而去
新字:盖是時荆公已有寵勧帝用兵以威四夷於是用王韶取熈河以窺霊夏結高麗以図大遼又用章惇取湖北夔峡之蠻又用劉彛沈起窺交趾二人造戦艦於富良江上交趾偵知先浮海載兵䧟廉州又破邕州害守臣蘇緘屠其城掠生口而去
書き下し
蓋し是の時荊公已に寵有り。帝に用兵して以て四夷を威すを勸む。是に於いて王韶を用いて熙河を取り、以て靈夏を窺う。髙麗と結びて以て大遼を圖る。又た章惇を用いて湖北・夔峽の蠻を取る。又た劉彝・沈起を用いて交趾を窺う。二人戰艦を富良江の上に造る。交趾偵知し、先ず海に浮かび兵を載せて廉州を陷る。又た邕州を破りて守臣蘇緘を害し、其の城を屠り、生口を掠めて去る。
現代語訳
思うに当時、王安石はすでに寵を得ていた。帝に、兵を用いて四方の異民族を威圧するよう勧めた。そこで王韶を用いて熙河を取り、霊武・夏州をうかがった。高麗と結んで大遼を図った。また章惇を用いて湖北・夔峡の蛮族の地を取った。また劉彝・沈起を用いて交趾をうかがった。二人は富良江のほとりで戦艦を造った。交趾はこれを察知し、先に海に船を出して兵を載せ、廉州を陥落させた。さらに邕州を破って城を守る蘇緘を殺し、その城を皆殺しにし、住民を捕虜として掠めて去った。
解説
こちらの備えが、そのまま相手の開戦の理由になった記録です。**二人は富良江のほとりで戦艦を造った。交趾はこれを察知し、先に海に船を出して兵を載せた。**準備が完了する前に、相手が動きました。備えは、完成するまでのあいだ、いちばん隙が大きい。しかも相手には攻める理由を与えています。前の巻で韓琦が「疑いを招いた七事」として並べたのと、同じ構造がここで実際に起きました。結果は一方的です。**城を守る蘇緘を殺し、その城を皆殺しにし、住民を捕虜として掠めて去った。**
この章句が説くこと
荊公已に寵有り帝に用兵して以て四夷を威すを勧む王韶を用いて熙河を取り以て霊夏を窺う二人戦艦を富良江の上に造る交趾偵知し先ず海に浮かび兵を載せて廉州を陥る挑発備え
関連する章句
-
孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
-
葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
-
尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
-
孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
-
孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。