宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬康
君為講官嘗上疏厯陳前世治少而亂多祖宗創業之艱難積累之勤勞以勸上及時向學守天下大器又勸太后毎於禁中訓導其言切至又言孟子為書最醇正陳王道尤所宜觀覧上曰方讀孟子尋詔講筵官編脩孟子節解為十四巻以進
新字:君為講官嘗上疏厯陳前世治少而乱多祖宗創業之艱難積累之勤労以勧上及時向学守天下大器又勧太后毎於禁中訓導其言切至又言孟子為書最醇正陳王道尤所宜観覧上曰方読孟子尋詔講筵官編脩孟子節解為十四巻以進
書き下し
君講官と爲り、嘗て上疏して歴ミ前世の治少なくして亂多きこと、祖宗創業の艱難、積累の勤勞を陳べ、以て上に時に及びて學に向かい、天下の大器を守らんことを勸む。又た太后に毎に禁中に於いて訓導せんことを勸む。其の言切至。又た言う、孟子は書と爲ること最も醇正。王道を陳ぶること尤も宜しく觀覽すべき所なりと。上曰く、方に孟子を讀むと。尋いで講筵の官に詔して孟子節解を編修し十四巻と爲して以て進ましむ。
現代語訳
君は講官となり、かつて上疏して、前の世々に治まった時代が少なく乱れた時代が多かったこと、祖宗が事業を興したときの困難、積み重ねの勤労を一つ一つ述べ、それによって主上に、時を逃さず学に向かい、天下という大きな器を守るよう勧めた。また太后に、いつも宮中で教え導くよう勧めた。その言葉は切実に行き届いていた。また言った。「『孟子』は書物として最も純正です。王道を述べているところは、とりわけご覧になるべきものです」。天子は言った。「ちょうど孟子を読んでいる」。そこで講筵の官に詔して『孟子節解』を編纂して十四巻とし、進上させた。
解説
若い天子に学を勧めるのに、励ましではなく数え上げから入りました。**前の世々に治まった時代が少なく乱れた時代が多かったこと、祖宗が事業を興したときの困難、積み重ねの勤労を一つ一つ述べ。**うまくいっているのが普通ではない、と示すところから始めている。そのうえで急ぎます。**時を逃さず学に向かい、天下という大きな器を守るよう。**そして具体的な一冊を勧めました。天子の返事も、すでに始めていたことを告げるものでした。
この章句が説くこと
歴ミ前世の治少なくして乱多きことを陳ぶ祖宗創業の艱難積累の勤労以て上に時に及びて学に向かい天下の大器を守らんことを勧む孟子は書と為ること最も醇正王道を陳ぶること尤も宜しく観覧すべき所なり進講歴史
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