宋名臣言行録 / 前集巻六・韓億
公與李參政若谷未第時皆貧同試京師每出謁更為僕李先第授許州長社簿赴官自控妻驢韓為負一箱將至長社三十里李謂韓曰恐縣吏来箱中只有錢六百以半遺韓相持大哭别去次年韓亦登第後皆至參政世為婚姻不絶
新字:公与李参政若谷未第時皆貧同試京師毎出謁更為僕李先第授許州長社簿赴官自控妻驢韓為負一箱将至長社三十里李謂韓曰恐県吏来箱中只有銭六百以半遺韓相持大哭別去次年韓亦登第後皆至参政世為婚姻不絶
書き下し
公と李參政若谷と、未だ第せざる時、皆な貧なり。同に京師に試む。出でて謁する毎に、更々僕と為る。李先ず第す。許州長社の簿を授かる。官に赴くに、自ら妻の驢を控く。韓、為に一箱を負う。將に長社に至らんとすること三十里。李、韓に謂いて曰く、恐らくは縣吏来たらん。箱中に只だ錢六百有るのみと。半を以て韓に遺る。相い持して大いに哭して別れ去る。次年、韓も亦た第に登る。後、皆な參政に至る。世々婚姻して絶えず。
現代語訳
公と参知政事の李若谷とは、まだ及第していなかったころ、どちらも貧しかった。いっしょに都で受験した。人を訪ねて出かけるたび、かわるがわる従僕役をした。李若谷が先に及第した。許州長社県の主簿を授かった。任地へ赴くとき、自分で妻の乗った驢馬を引いた。韓億はそのために箱を一つ背負った。長社まであと三十里というところで。李若谷は韓億に言った。「そろそろ県の役人が迎えに来るだろう。箱の中には銭が六百あるだけだ」。その半分を韓億に贈った。二人は抱き合って大いに泣いて別れた。翌年、韓億も及第した。後にどちらも参知政事に至った。代々婚姻を結んで絶えなかった。
解説
人を訪ねるとき、**かわるがわる従僕役をした**という一行から始まる条です。片方だけ先に及第して、任地へ向かう。妻を乗せた驢馬を自分で引き、もう一人が箱を背負っています。別れ際の言葉が、この条の要でした。**箱の中には銭が六百あるだけだ。**そしてその半分を渡し、抱き合って泣いて別れました。全部でも、体裁のいい額でもなく、半分です。翌年、残ったほうも及第しました。
この章句が説くこと
出でて謁する毎に更々僕と為る箱中に只だ銭六百有るのみ半を以て韓に遺る相い持して大いに哭して別れ去る友情施し貧窮
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『宋名臣言行録』前集巻六・韓億公、布衣の時、李康靖と同に遊ぶ。止だ一氈のみ。同に寢ぬ。一日、途を分かつ。遂に割きて之を分かつ。汝州に至る。太守趙學士、康靖を請いて門客と為す。尤も敬待す。公の至る毎に、即ち猪肉を設けしむ。康靖、嘗て簡有りて戲れて云う、乆しく肉味を思う。請う、兄早く訪えと。趙公に女有るに及び、遂に公と親を議す。既に省を過ぐ。趙公、人を遣わして女を送りて来たらしむ。京城外の旅店の中に至りて、一夕にして病卒す。公、素服を具えて往きて之を哭す。康靖、長社と為る。毎日、百錢を壁上に懸け、用い盡くせば即ち已む。其の貧儉、此くの如し。
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