宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
道鄉鄒公自少以道學行義知名於時其為人也和順積中而英華發外望之睟然見於顔面不問知其為仁人君子也其遇事接物猶虚舟然而堅挺之姿如精金良玉不可磨磷
新字:道鄉鄒公自少以道学行義知名於時其為人也和順積中而英華発外望之睟然見於顔面不問知其為仁人君子也其遇事接物猶虚舟然而堅挺之姿如精金良玉不可磨磷
書き下し
道鄉鄒公、少きより道學行義を以て時に知名す。其の人と爲りや、和順中に積みて英華外に發す。之を望めば睟然として顔面に見る。問わずして其の仁人君子爲るを知るなり。其の事に遇い物に接するは、猶お虚舟のごとし。然れども堅挺の姿は精金良玉の如く、磨磷す可からず。
現代語訳
道郷先生の鄒浩は、若いころから道学と行いの正しさによって当時に名を知られた。その人となりは、和やかで素直なものが内に積もり、その輝きが外に現れていた。遠くから見ても、うるおいのある気配が顔に表れていた。尋ねるまでもなく、その人が仁人君子であると分かった。事に出会い人や物に接するさまは、まるで空っぽの舟のようであった。それでいて、堅く挺立した姿は、純金や良質の玉のようで、磨り減らすことができなかった。
解説
二つの喩えが向かい合っています。ぶつかっても波風が立たない、というのが前半です。**事に出会い人や物に接するさまは、まるで空っぽの舟のようであった。**流れに任せ、相手にも当たらない。ところが後半で反転します。**堅く挺立した姿は、純金や良質の玉のようで、磨り減らすことができなかった。**柔らかいのに削れない。角がないことと、変わらないことは別だ、という人物評です。この後の生涯が、そのとおりになります。
この章句が説くこと
道鄉鄒公少きより道学行義を以て時に知名す和順中に積みて英華外に発す其の事に遇い物に接するは猶お虚舟のごとし然れども堅挺の姿は精金良玉の如く磨磷す可からず人柄柔和
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