宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
太皇太后登遐公言太后新棄天下陛下初攬庶政乃宋室隆替之時社禝安危之基天下治亂之端生民休戚之始君子小人消長進退之際天命人心去就離合之時不可不慎也
新字:太皇太后登遐公言太后新棄天下陛下初攬庶政乃宋室隆替之時社禝安危之基天下治乱之端生民休戚之始君子小人消長進退之際天命人心去就離合之時不可不慎也
書き下し
太皇太后登遐す。公言う、太后新たに天下を棄て、陛下初めて庶政を攬る。乃ち宋室隆替の時、社稷安危の基、天下治亂の端、生民休戚の始め、君子小人消長進退の際、天命人心去就離合の時なり。慎まざる可からざるなり、と。
現代語訳
太皇太后が崩御した。范祖禹は述べた。「太后が世を去られたばかりで、陛下ははじめて万機を自ら執られます。これは宋の王室が栄えるか衰えるかの時であり、国家が安らかであるか危ういかの土台であり、天下が治まるか乱れるかの糸口であり、民が安らぐか苦しむかの始まりであり、君子と小人が伸びるか消えるか、進むか退くかの分かれ目であり、天命と人心が去るか就くか、離れるか合するかの時です。慎まないわけにはまいりません」。
解説
五百字を超えるこの一条は、同じことを六通りに言い換える書き出しから始まります。**宋の王室が栄えるか衰えるかの時であり、国家が安らかであるか危ういかの土台であり。**言い換えが六つ続くのは、修辞ではありません。この一点が後のすべてを決める、という重みを、読む側に体で覚えさせるためです。そして結論は五文字でした。**慎まないわけにはまいりません。**若い天子が自ら政を執る最初の日に出された諫めです。
この章句が説くこと
太后新たに天下を棄て陛下初めて庶政を攬る乃ち宋室隆替の時社稷安危の基天下治乱の端生民休戚の始め君子小人消長進退の際天命人心去就離合の時なり慎まざる可からざるなり転機親政
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論語・述而篇子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
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