宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
王曽張知白陳彭年參預政事因白公曰每奏事其間有不經上覽者公但批㫖奉行恐人言之以為不可公遜謝而已一日奏對公退諸公留身上驚曰有何事不與王旦同来諸公以前説對上曰旦在朕左右多年朕察之無毫髪私自東封後朕諭以小事一面奉行卿等當謹奉之諸公退而愧謝公曰向䝉諭及不可自言曽得上㫖然今後更賴諸公規益
新字:王曽張知白陳彭年参預政事因白公曰毎奏事其間有不経上覧者公但批旨奉行恐人言之以為不可公遜謝而已一日奏対公退諸公留身上驚曰有何事不与王旦同来諸公以前説対上曰旦在朕左右多年朕察之無毫髪私自東封後朕諭以小事一面奉行卿等当謹奉之諸公退而愧謝公曰向䝉諭及不可自言曽得上旨然今後更頼諸公規益
書き下し
王曽・張知白・陳彭年、政事に參預す。因りて公に白して曰く、事を奏する毎に、其の間に上覽を經ざる者有り。公但だ㫖を批して奉行す。恐らくは人之を言いて以て不可と為さんと。公遜謝するのみ。一日、奏對して公退く。諸公身を留む。上驚きて曰く、何の事有りて王旦と同に来らざるやと。諸公前説を以て對う。上曰く、旦は朕が左右に在ること多年なり。朕之を察するに毫髪の私無し。東封より後、朕諭すに小事は一面奉行するを以てす。卿等當に謹みて之を奉ずべしと。諸公退きて愧謝す。公曰く、向に諭及を䝉る。自ら上㫖を得たりと言う可からず。然れども今後更に諸公の規益を賴らんと。
現代語訳
王曽・張知白・陳彭年が政事に参与していた。そこで公に申し出た。「奏上のたび、その中に主上の御覧を経ないものがあります。公はただ上意を記して実行しておられる。おそらく人がそれを取り上げてよくないと言うでしょう」。公は謙遜して詫びるだけであった。ある日、奏上を終えて公が退出した。諸公はその場に残った。帝は驚いて言った。「何事があって王旦と一緒に来ないのか」。諸公は先の話を申し上げた。帝は言った。「王旦は私の側に長年いる。私が見るところ、髪の毛ほどの私心も無い。東の封禅から後、私は小事はその場で実行してよいと申しつけた。卿らは謹んでそれに従いなさい」。諸公は退出して恥じ入って詫びた。公は言った。「先に申しつけをいただいておりました。自分から上意を得ていると言うわけにはまいりません。しかし今後はいっそう諸公のお諫めを頼みにいたします」。
解説
この章句が説くこと
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