宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
公為相治居第於封丘門内聴事前僅容旋馬或言其太隘公笑曰居第當傳子孫此為宰相㕔事誠隘為太祝奉禮㕔事已寛矣
新字:公為相治居第於封丘門内聴事前僅容旋馬或言其太隘公笑曰居第当伝子孫此為宰相㕔事誠隘為太祝奉礼㕔事已寛矣
書き下し
公相と為り、居第を封丘門の内に治む。聴事の前、僅かに馬を旋らすを容る。或ひと其の太だ隘きを言う。公笑いて曰く、居第は當に子孫に傳うべし。此れ宰相の㕔事と為さば誠に隘し。太祝・奉禮の㕔事と為さば已に寛しと。
現代語訳
公が宰相となって、封丘門の内側に住まいを構えた。応接の間の前は、やっと馬が向きを変えられるだけの広さだった。ある人が狭すぎると言った。公は笑って言った。「住まいは子孫に伝えるべきものだ。これを宰相の応接の間とすれば、確かに狭い。だが太祝や奉礼といった下級の官の応接の間とすれば、もう十分に広い」。
解説
狭すぎると言われた家について、五十字で答えた条です。**住まいは子孫に伝えるべきものだ。**だから寸法は自分の地位ではなく、子孫の地位に合わせる。宰相の間としては狭いが、下級の官の間としてはもう十分に広い、と。子孫が同じ位に就くとは限らないと見ているわけです。李沆が「一年かけて家を建てるほど人生は長くない」と言った条と並べると、家の大きさに二つの理由づけがあることになります。
この章句が説くこと
居第は当に子孫に伝うべし此れ宰相の㕔事と為さば誠に隘し太祝奉礼の㕔事と為さば已に寛し聴事の前僅かに馬を旋らすを容る住まい子孫分限
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