宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
及太宗平并州欲逺取幽薊自是嵗有契丹之虞曺彬劉延謙傅潛等數十戰各亡士卒十餘萬又内徙李彞興馮暉之族致繼遷之變三邉皆擾而朝廷始旰食矣真宗之初趙徳明納欵及澶淵之克遂與契丹盟至今人不識兵革可謂盛徳大業矣祖宗之事大畧如此亦可以監矣
新字:及太宗平并州欲遠取幽薊自是歳有契丹之虞曺彬劉延謙傅潜等数十戦各亡士卒十余万又内徙李彞興馮暉之族致継遷之変三邉皆擾而朝廷始旰食矣真宗之初趙徳明納欵及澶淵之克遂与契丹盟至今人不識兵革可謂盛徳大業矣祖宗之事大畧如此亦可以監矣
書き下し
太宗の并州を平らげ、遠く幽薊を取らんと欲するに及び、是れより歳ミ契丹の虞有り。曹彬・劉延謙・傅潛等の數十戰、各ミ士卒十餘萬を亡う。又た李彝興・馮暉の族を内徙して繼遷の變を致す。三邊皆擾れて、朝廷始めて旰食す。眞宗の初め、趙德明款を納れ、澶淵の克に及びて遂に契丹と盟す。今に至るまで人兵革を識らず。盛德大業と謂う可し。祖宗の事の大略は此くの如し。亦た以て監とす可し。
現代語訳
太宗が并州を平定し、遠く幽州・薊州を取ろうとするに至って、これより毎年、契丹の心配が生じました。曹彬・劉延謙・傅潜らの数十度の戦で、それぞれ兵士十余万を失いました。さらに李彝興・馮暉の一族を内地に移したことで、李継遷の変を招きました。三方の国境がみな騒がしくなり、朝廷ははじめて日暮れまで食事も取れない有様になりました。真宗のはじめ、趙徳明が帰服し、澶淵の勝利によって、ついに契丹と盟約しました。今に至るまで人は戦を知りません。盛んな徳と大きな事業と言ってよいでしょう。祖宗の事の大筋はこのとおりです。これもまた鑑とすべきです。
解説
前の段の裏返しです。取りに行った瞬間に、恒常的な負担が生まれました。**遠く幽州・薊州を取ろうとするに至って、これより毎年、契丹の心配が生じました。**そして代償が二つ並びます。数十度の戦での損失と、内地に移した部族が招いた新しい叛乱。**李彝興・馮暉の一族を内地に移したことで、李継遷の変を招きました。**前段で世襲を許して安定していた相手です。安定していた仕組みを解いたところから、次の乱が出ています。
この章句が説くこと
遠く幽薊を取らんと欲するに及び是れより歳ミ契丹の虞有り曹彬劉延謙傅潜等の数十戦各ミ士卒十余万を亡う又た李彝興馮暉の族を内徙して継遷の変を致す三辺皆擾れて朝廷始めて旰食す拡大代償
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