宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
天子北巡至澶州敵騎已過魏府矣上疑不欲渡河駐南澶州凖勸上北渡以固衆心毋令敵得乘勝上猶豫未決時陳堯叟勸上避之蜀王欽若勸上避之金陵上以問凖凖曰誰為陛下畫此計者上曰顧所畫何如耳毋問其名凖曰臣姑欲知之先斬此曹以令天下且先帝建都埀五十年天下財用兵甲聚于京師宗廟社稷之所寄也不幸有事陛下當與臣等以死守之今一旦棄去非復陛下所有若盗賊因縁而起陛下當何歸乎上喟然
新字:天子北巡至澶州敵騎已過魏府矣上疑不欲渡河駐南澶州凖勧上北渡以固衆心毋令敵得乗勝上猶予未決時陳堯叟勧上避之蜀王欽若勧上避之金陵上以問凖凖曰誰為陛下画此計者上曰顧所画何如耳毋問其名凖曰臣姑欲知之先斬此曹以令天下且先帝建都埀五十年天下財用兵甲聚于京師宗廟社稷之所寄也不幸有事陛下当与臣等以死守之今一旦棄去非復陛下所有若盗賊因縁而起陛下当何帰乎上喟然
書き下し
天子北巡して澶州に至る。敵騎已に魏府を過ぐ。上疑いて河を渡らんと欲せず、南澶州に駐まる。凖、上に北渡して以て衆心を固くし、敵をして勝ちに乘ずるを得しむる毋からんことを勸む。上猶豫して未だ決せず。時に陳堯叟、上に蜀に避けんことを勸む。王欽若、上に金陵に避けんことを勸む。上以て凖に問う。凖曰く、誰か陛下の為に此の計を畫く者ぞと。上曰く、顧みて畫く所何如を問うのみ。其の名を問う毋かれと。凖曰く、臣姑く之を知らんと欲す。先ず此の曹を斬りて以て天下に令せんと。且つ先帝、都を建てて五十年に埀んとす。天下の財用・兵甲、京師に聚まる。宗廟社稷の寄する所なり。不幸にして事有らば、陛下當に臣等と死を以て之を守るべし。今、一旦棄て去らば、復た陛下の有する所に非ず。若し盗賊縁に因りて起こらば、陛下當に何くにか歸すべきやと。上喟然たり。
現代語訳
天子は北へ巡って澶州に着いた。敵の騎兵はすでに魏府を通り過ぎていた。帝は疑って河を渡ろうとせず、南の澶州に留まった。寇準は帝に、北へ渡って人心を固め、敵に勝ちに乗じさせないようにと勧めた。帝はためらって決めなかった。当時、陳堯叟は帝に蜀へ避けるよう勧め、王欽若は金陵へ避けるよう勧めていた。帝はそれを寇準に尋ねた。寇準は言った。「誰が陛下のためにこの計を描いたのですか」。帝は言った。「ただ描かれた計がどうかを問うだけだ。その名を問うてはならない」。寇準は言った。「臣はしばらくそれを知りたい。まずその者どもを斬って天下に令したいのです。そのうえ先帝が都を建ててから五十年になろうとしています。天下の財も兵も武具も、都に集まっています。宗廟と社稷の託されている場所です。不幸にして事が起これば、陛下は臣らとともに死をもって守るべきです。いま一朝にして捨て去れば、もう陛下のものではなくなります。もし盗賊がそれに乗じて起これば、陛下はどこへ帰られるのですか」。帝は嘆息した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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易経・彖伝「遯(とん)は亨る」とは、遯(しりぞ)きて亨るなり。剛位に当りて応じ、時と与(とも)に行くなり。「小しく貞しきに利ろし」とは、浸(ようや)くにして長ずればなり。遯の時義大なるかな。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。

人生を、一行の式にしてみた。
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