宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
除知制誥辭至八九乃改天章閣待制公有上龎丞相啓云光於屬文性分素薄又懶為之當應舉時強作科塲文字雖僅能牽合終不甚工頗慕作古文又不能刻意致力窺前修之藩徒使其言迂僻鄙俚不益世用雖親舊書啓不免假手於人今知制誥掌為天子作詔文宣布華夷豈可使假手答書啓者為之邪以是觀之光之不受知制誥出於赤誠非飾讓也
新字:除知制誥辞至八九乃改天章閣待制公有上龎丞相啓云光於属文性分素薄又懶為之当応舉時強作科塲文字雖僅能牽合終不甚工頗慕作古文又不能刻意致力窺前修之藩徒使其言迂僻鄙俚不益世用雖親旧書啓不免仮手於人今知制誥掌為天子作詔文宣布華夷豈可使仮手答書啓者為之邪以是観之光之不受知制誥出於赤誠非飾譲也
書き下し
知制誥を除せらる。辭すること八九、乃ち天章閣待制に改む。公に龐丞相に上る啓有りて云う、光は文を屬するに於いて性分素より薄し。又た懶にして之を爲す。舉に應ずる時に當たりて強いて科場の文字を作る。僅かに能く牽合すと雖も終に甚だしくは工ならず。頗る古文を作るを慕うも、又た刻意致力して前修の藩を窺う能わず。徒だ其の言をして迂僻鄙俚ならしめ世用に益あらず。親舊の書啓と雖も人に手を假るを免れず。今知制誥は天子の爲に詔を作り華夷に宣布するを掌る。豈に手を假りて書啓に答うる者をして之を爲さしむ可けんや。是を以て之を觀れば、光の知制誥を受けざるは赤誠より出づ。飾讓に非ざるなり。
現代語訳
知制誥に任じられた。八度九度と辞退して、ようやく天章閣待制に改められた。司馬光に「龐丞相に上る啓」があり、こう言う。「光は文章を作ることについて、生まれつきの分が薄い。そのうえ、ものぐさでそれを行う。科挙に応じるときは、無理をして試験用の文章を作った。かろうじて辻褄を合わせられはしても、結局さほど巧みではなかった。ずいぶん古文を作ることに憧れたが、それも心を込め力を尽くして先人の垣根をのぞくことができなかった。ただその言葉を、遠回りで偏り、鄙びて粗いものにするだけで、世の用には立たない。親しい者への手紙でさえ、人に代筆してもらうことを免れない。いま知制誥は、天子のために詔を作り、中華にも夷狄にも宣布することを司る。どうして、代筆で手紙の返事をするような者にこれをさせてよいでしょうか。これによって見れば、光が知制誥を受けないのは、まことの心から出ている。飾りの辞退ではない」。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光特に公は新法罷まざるを以て義として起つ可からず。元豐の官制成る。帝曰く、官制將に行われんとす。新舊の人を取りて兩つながら用いんと欲すと。又た曰く、御史大夫は光に非ざれば不可なりと。蔡確進みて曰く、國是方に定まる。願わくは少しく之を俟てと。王珪も亦た□其の説。元豐七年秋に至り、資治通鑑成りて御に進む。時に公を資政殿學士に拜し、帶を賜うこと二府の品數の如き者なり。修書官も亦た秩を遷る。范祖禹及び公の子康を召して館職と爲す。時に帝初め疾を感じ、既に安んじて宰輔に語りて曰く、來春儲を建てん。司馬光・呂公著を以て師保と爲さんと。神宗の公を知ること深きこと此くの如し。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光公又た鎮に書を與う、此れ大事なり。言わずんば則ち已む。言一たび出づれば豈に復た反す可けんや。願わくは公、死を以て之を爭えと。是に於いて鎮之を言うこと益ミ力む。公の諫官と爲るに及び、復た上疏し且つ面ミ言う。上因りて公をして言う所を中書に付せしむ。公曰く、願わくは陛下、自ら意を以て宰相に諭せと。