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宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青

公為韓范所知後位樞宻或告以當推狄梁公為祖公愧謝曰青出田家少為兵安敢祖狄梁公哉(筆談云青為樞宻使有狄梁公之後持梁公畫像及告身十餘通詣青獻之以謂青之逺祖謝之曰一時遭際安敢自附梁公厚贈而還之比之郭崇韜哭子儀墓青所得多矣)或勸去鬢間字則曰青雖貴不忘本也(或曰仁宗喻青使去其湼青指其面云臣所以至此者以是耳願留示軍中不敢奉詔)毎至韓公家必拜於廟庭之下入拜夫人甚恭以郎君之禮待其子弟其異於人如此

新字:公為韓范所知後位枢宻或告以当推狄梁公為祖公愧謝曰青出田家少為兵安敢祖狄梁公哉(筆談云青為枢宻使有狄梁公之後持梁公画像及告身十余通詣青献之以謂青之遠祖謝之曰一時遭際安敢自附梁公厚贈而還之比之郭崇韜哭子儀墓青所得多矣)或勧去鬢間字則曰青雖貴不忘本也(或曰仁宗喻青使去其湼青指其面云臣所以至此者以是耳願留示軍中不敢奉詔)毎至韓公家必拝於廟庭之下入拝夫人甚恭以郎君之礼待其子弟其異於人如此

書き下し

公、韓・范の知る所と爲る。後、樞宻に位す。或るひと告ぐるに、當に狄梁公を推して祖と爲すべしと以てす。公愧謝して曰く、青は田家より出で、少くして兵と爲る。安んぞ敢えて狄梁公を祖とせんやと。(筆談に云う、青、樞宻使と爲る。狄梁公の後、梁公の畫像及び告身十餘通を持して青に詣りて之を獻ず。以謂えらく青の逺祖なりと。之を謝して曰く、一時の遭際、安んぞ敢えて自ら梁公に附かんやと。厚く贈りて之を還す。之を郭崇韜の子儀の墓に哭するに比ぶれば、青の得る所多しと。)或るひと鬢間の字を去らんことを勸む。則ち曰く、青、貴しと雖も本を忘れざるなりと。(或るひと曰く、仁宗、青に喻して其の湼を去らしむ。青、其の面を指して云う、臣の此に至る所以は、是を以てのみ。願わくは留めて軍中に示さん。敢えて詔を奉ぜずと。)韓公の家に至る毎に、必ず廟庭の下に拜す。入りて夫人を拜すること甚だ恭し。郎君の禮を以て其の子弟を待つ。其の人に異なること此くの如し。

現代語訳

公は韓琦と范仲淹に知られた。後に枢密の位に就いた。ある人が、狄仁傑を先祖として押し立てるべきだと告げた。公は恥じ入って断って言った。「私は農家から出て、若くして兵となった。どうして狄仁傑を先祖などとできようか」。(『夢渓筆談』にいう。狄青が枢密使であったとき、狄仁傑の子孫が、梁公の肖像と辞令十余通を持って狄青のもとに来て献じた。狄青の遠い先祖だというのである。断って言った。「一時の巡り合わせにすぎません。どうして自分から梁公に連なれましょう」。手厚く贈り物をして返した。郭崇韜が郭子儀の墓で哭したのに比べれば、狄青の得るところは多い。)ある人が、鬢のあたりの刺青を消すよう勧めた。すると言った。「私は貴い身になったが、本を忘れないのだ」。(ある人はいう。仁宗が狄青に告げて、その刺青を消させようとした。狄青はその顔を指して言った。「臣がここまで至ったわけは、これによってです。どうかそのままにして軍中に示させてください。詔をお受けするわけにはまいりません」。)韓琦の家に行くたび、必ず廟の庭で拝礼した。入って夫人を拝することがたいそう恭しかった。若君の礼をもってその子弟に接した。その人と違うところは、このとおりであった。

解説

家柄を作れと勧められて、断った条です。**私は農家から出て、若くして兵となった。どうして狄仁傑を先祖などとできようか。**肖像と辞令まで持ってきた相手には、手厚く贈って返しています。刺青を消せと言われたときの答えが、この人のいちばん有名な一言でした。**私は貴い身になったが、本を忘れないのだ。**別伝ではもっと強い。**臣がここまで至ったわけは、これによってです。どうか軍中に示させてください。**

この章句が説くこと

青は田家より出で少くして兵と為る安んぞ敢えて狄梁公を祖とせんや青貴しと雖も本を忘れざるなり臣の此に至る所以は是を以てのみ願わくは留めて軍中に示さん出自刺青誇り

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