宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
既而朋黨之禍大起時事日變更承君謝病歸陽翟田舎一日報立劉氏為皇后承君謂人曰志完不言可以絶交矣
新字:既而朋党之禍大起時事日変更承君謝病帰陽翟田舎一日報立劉氏為皇后承君謂人曰志完不言可以絶交矣
書き下し
既にして朋黨の禍大いに起こる。時事日に變更す。承君病と謝して陽翟の田舍に歸る。一日、劉氏を立てて皇后と爲すと報ず。承君人に謂いて曰く、志完言わずんば、以て交わりを絶つ可し、と。
現代語訳
やがて党派の禍いが大いに起こった。世の情勢は日ごとに変わった。田昼は病と称して陽翟の田舎に帰った。ある日、劉氏を立てて皇后とする、との知らせが届いた。田昼は人に言った。「志完がこれでも言わないなら、絶交してよい」。
解説
四十五字の短い一段ですが、前段の約束がここで期限を迎えます。田昼はすでに官を離れ、田舎にいました。それでも見ていた、ということです。ある日、劉氏を立てて皇后とする、との知らせが届いた。信用を貯めてから言う、と鄒浩は言いました。では、いつ使うのか。田昼にとっては今でした。志完がこれでも言わないなら、絶交してよい。本人に向かって言っていません。その一線を、自分の中で先に引いています。
この章句が説くこと
既にして朋党の禍大いに起こる時事日に変更す承君病と謝して陽翟の田舎に帰る一日劉氏を立てて皇后と為すと報ず志完言わずんば以て交わりを絶つ可し期限友人
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