宋名臣言行録 / 後集巻三・吳奎
韓魏公嘗云吳長文有識方天下盛推王安石以為必可致太平唯長文獨語所知曰安石心强性狠不可大用後果如所言
新字:韓魏公嘗云吳長文有識方天下盛推王安石以為必可致太平唯長文独語所知曰安石心强性狠不可大用後果如所言
書き下し
韓魏公嘗て云う、吳長文は識有り。方に天下盛んに王安石を推して以て必ず太平を致す可しと爲すとき、唯だ長文のみ獨り知る所に語りて曰く、安石は心強く性狠し。大用す可からずと。後に果たして言う所の如しと。
現代語訳
韓琦はかつて言った。「呉奎には見識がある。まさに天下がこぞって王安石を推して、必ず太平を招くことができると考えていたとき、ただ呉奎だけが、知り合いに語ってこう言った。『安石は心が強く、気性が狠い。大きく用いてはならない』。後にはたして言ったとおりになった」。
解説
同じ時期に、同じ人物について、韓琦は手紙の書きぶりから、富弼は好意から、この人は気性から見ています。**安石は心が強く、気性が狠い。大きく用いてはならない。**能力を否定していません。強さと狠さという二つの性質を挙げただけです。強い意志は事を進めますが、狠さが加わると止まらなくなる。しかも公言していません。**ただ呉奎だけが、知り合いに語って言った。**評判が最高潮のときに、それを言える相手を選んで一言だけ残しています。
この章句が説くこと
吳長文は識有り方に天下盛んに王安石を推して以て必ず太平を致す可しと為す唯だ長文のみ独り知る所に語る安石は心強く性狠し大用す可からず人物評先見
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