宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
自常州徙提㸃江西刑獄嘉祐中召除館職三司度支判官固辭不許未幾命修起居注辭以新入館館中先進多不當超處其右章十餘上有㫖令閣門吏賫勑就三司授之安石不受吏隨而拜之安石避之於厠吏置勅於案而去安石使人追而與之朝廷卒不能奪嵗餘朝廷復申前命安石辭七八章乃授除知制誥自此不復辭官矣(温公□
新字:自常州徙提㸃江西刑獄嘉祐中召除館職三司度支判官固辞不許未幾命修起居注辞以新入館館中先進多不当超処其右章十余上有旨令閣門吏賫勑就三司授之安石不受吏随而拝之安石避之於厠吏置勅於案而去安石使人追而与之朝廷卒不能奪歳余朝廷復申前命安石辞七八章乃授除知制誥自此不復辞官矣(温公□
書き下し
常州より提點江西刑獄に徙る。嘉祐中、召されて館職・三司度支判官を除せらる。固辭するも許されず。未だ幾ならずして起居注を脩むるを命ぜらる。辭するに新たに館に入る、館中の先進多く、其の右に超え處るは當たらずと以てす。章十餘上る。旨有りて閣門の吏をして勅を賫して三司に就きて之を授けしむ。安石受けず。吏隨いて之を拜す。安石之を厠に避く。吏勅を案に置きて去る。安石人をして追いて之に與えしむ。朝廷卒に奪う能わず。歳餘、朝廷復た前命を申ぶ。安石辭すること七八章、乃ち授かりて知制誥を除せらる。此れより復た官を辭せず(溫公□
現代語訳
常州から提点江西刑獄に移った。嘉祐年間、召されて館職・三司度支判官に任じられた。固辞したが許されなかった。ほどなく起居注を修めるよう命じられた。新たに館に入った身であり、館の中には先輩が多く、その上に飛び越えて座るのは当たらない、として辞退した。上章は十度あまりに及んだ。詔があって、閣門の役人に辞令を持たせて三司へ行って授けさせた。王安石は受け取らなかった。役人はついて回って拝礼した。王安石はこれを厠に逃げて避けた。役人は辞令を机に置いて去った。王安石は人をやって追いかけさせて返させた。朝廷はついに考えを変えさせられなかった。一年あまりして、朝廷はまた先の命を繰り返した。王安石は七、八度上章して辞退し、そこでようやく受けて知制誥に任じられた。これ以来、二度と官を辞退しなかった〔ここで出典の注記が欠けている〕。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・勧学篇百発して一を失えば、善射と謂うに足らず、千里蹞歩至らざれば、善御と謂うに足らず、倫類通ぜず、仁義一ならざれば、善学と謂うに足らず。学は固より一を学ぶなり。一たび出で、一たび入るは、涂巷の人なり。其の善なる者は少なく、不善なる者は多きは、桀紂盗跖なり。之を全くし之を尽くして、然る後に学者なり。
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孫子・用間篇凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ず其の守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必ず之を索め知らしむ。
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荀子・大略篇善く学ぶ者は其の理を尽くし、善く行ふ者は其の難きを究(きは)む。
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説苑・君道魯の哀公、孔子に問いて曰く、「吾聞く、君子は博せずと、之れ有りや」と。孔子対えて曰く、「之れ有り」と。哀公曰く、「何為れぞ其れ博せざるや」と。孔子対えて曰く、「其の二乗有るが為なり」と。哀公曰く、「二乗有れば則ち何為れぞ博せざるや」と。孔子対えて曰く、「其の悪道を行うが為なり」と。哀公懼る。間有りて曰く、「是くの若きか、君子の悪道を悪むの甚だしきや」と。孔子対えて曰く、「悪道を悪むこと甚だしからざれば、則ち其の善道を好むも亦た甚だしかる能わず。善道を好むこと甚だしからざれば、則ち百姓の之に親しむや、亦た甚だしかる能わず」と。詩に云う、「未だ君子を見ず、憂心惙惙たり、亦た既に之を見、亦た既に之に覯う、我が心則ち説ぶ」と。詩の善道を好むの甚だしきこと此くの如し。哀公曰く、「善きかな。吾聞く、君子は人の美を成し、人の悪を成さずと。孔子微りせば、吾焉んぞ斯の言を聞かんや」と。
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孫子・形篇勝つべからざる者は守なり、勝つべき者は攻なり。守は則ち足らざればなり、攻は則ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。
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『韓非子』初見秦第一且つ之を聞く、曰く、「迹を削りて根を遺す無かれ。禍と鄰すること無ければ、禍は乃ち存せず。」