宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青
公嘗為樞宻使時予為諫官人有相語童謡云漢似羌人羌似漢改頭換面摠一般只在汾河川子畔以青汾河人面有刺字不肯滅去又姓狄爲漢人此歌爲是人作也為不疑矣欲予言之予應之曰此唐太宗殺李君羡事上安忍爲適以啟君臣疑心耳
新字:公嘗為枢密使時予為諫官人有相語童謡云漢似羌人羌似漢改頭換面摠一般只在汾河川子畔以青汾河人面有刺字不肯滅去又姓狄為漢人此歌為是人作也為不疑矣欲予言之予応之曰此唐太宗殺李君羡事上安忍為適以啓君臣疑心耳
書き下し
公、嘗て樞宻使と爲る。時に予、諫官と爲る。人の相い語る有り、童謡に云う、漢は羌人に似、羌は漢に似たり。頭を改め面を換うるも摠て一般。只だ汾河の川子の畔に在りと。青は汾河の人なるを以て、面に刺字有り。滅し去るを肯んぜず。又た姓は狄にして漢人爲り。此の歌は是れ人の作る所ならん。爲に疑わざるなりと。予に之を言わんことを欲す。予、之に應じて曰く、此れ唐の太宗の李君羡を殺す事なり。上、安んぞ忍びて爲さん。適だ以て君臣の疑心を啟くのみと。
現代語訳
公はかつて枢密使であった。当時、私は諫官であった。ある人が語り合って言った。「わらべ歌にこうある。『漢は羌人に似て、羌は漢に似ている。頭を改め顔を換えても、みな同じ。ただ汾河の川べりにいる』。狄青は汾河の人で、顔に刺青がある。それを消そうとしない。そのうえ姓は狄で、漢人である。この歌は誰かが作ったものだろう。それについては疑いない」。私にそれを言上してほしいと言った。私はそれに答えて言った。「これは唐の太宗が李君羨を殺した事と同じだ。主上がどうしてそれを忍んでなさろうか。ただ君と臣の間に疑いの心を開かせるだけだ」。
解説
わらべ歌をこじつけて、人を陥れようとした条です。材料は三つ——汾河の人であること、顔の刺青を消さないこと、姓が狄であること。どれも本人の落ち度ではありません。持ちかけられた諫官の答えが、この条の値打ちです。これは唐の太宗が李君羨を殺した事と同じだ。主上がどうしてそれを忍んでなさろうか。ただ君と臣の間に疑いの心を開かせるだけだ。取り次げば、それだけで疑いが生まれる。
この章句が説くこと
漢は羌人に似羌は漢に似たり只だ汾河の川子の畔に在り青は汾河の人なるを以て面に刺字有り滅し去るを肯んぜず此れ唐の太宗の李君羡を殺す事なり適だ以て君臣の疑心を啟くのみ此れ唐の太宗の李君羡を殺す事なり適だ以て君臣の疑心を啓くのみ讒言言葉
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