宋名臣言行録 / 前集巻六・宋庠
公嘗奏事而帶寛誤墜文書于地不顧而行仁宗呼内侍拾以與之議者謂仁宗有人君體宋公得大臣體
新字:公嘗奏事而帯寛誤墜文書于地不顧而行仁宗呼内侍拾以与之議者謂仁宗有人君体宋公得大臣体
書き下し
公嘗て事を奏す。而して帶寛く、誤って文書を地に墜とす。顧みずして行く。仁宗、内侍を呼びて拾いて以て之に與えしむ。議する者謂う、仁宗に人君の體有り、宋公は大臣の體を得たりと。
現代語訳
公がかつて奏上していた。ところが帯が緩んで、うっかり文書を地に落とした。振り返らずに進んだ。仁宗は宦官を呼んで拾わせ、公に渡させた。議論する者は言った。「仁宗には君主としての体があり、宋公は大臣としての体を得ている」。
解説
落とした文書を、拾わなかった条です。振り返らずに進んだ。御前で身をかがめて拾えば、その場の流れが止まります。帝のほうは宦官を呼んで拾わせ、渡させました。どちらも一言も発していません。評はこうです。仁宗には君主としての体があり、宋公は大臣としての体を得ている。小さな失敗の処理の仕方に、それぞれの立場が出た、という条です。
この章句が説くこと
帯寛く誤って文書を地に墜とす顧みずして行く仁宗内侍を呼びて拾いて以て之に与えしむ仁宗に人君の体有り宋公は大臣の体を得たり体面失敗所作
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