宋名臣言行録 / 前集巻一・趙普
李繼遷擾邉太宗用普計封趙保忠守夏臺故地令滅之保忠反與繼遷合謀大為邉患
新字:李継遷擾邉太宗用普計封趙保忠守夏台故地令滅之保忠反与継遷合謀大為邉患
書き下し
李繼遷邉を擾す。太宗、普の計を用いて趙保忠を封じ、夏臺の故地を守らしめ、之を滅ぼさしむ。保忠反って繼遷と合謀し、大いに邉患と為る。
現代語訳
李継遷が辺境を荒らした。太宗は趙普の計を用いて趙保忠を封じ、夏台の旧領を守らせ、李継遷を滅ぼさせようとした。ところが保忠はかえって継遷と語らい、大きな辺境の患いとなった。
解説
趙普の条の最後に置かれた、失敗の記録です。封じて守らせた相手が、討たせるはずの相手と組んでしまいました。この一条には評も弁解も付いていません。前の条までで並べてきた功績のあとに、三十四字の失敗を黙って置いて人物を締めくくる。功だけを集めた本ではないことが、ここでも分かります。王君玉『玉壺清話』による、と注があります。
この章句が説くこと
普の計を用いて趙保忠を封じ夏台の故地を守らしむ保忠反って継遷と合謀し大いに邉患と為る李継遷邉を擾す失敗委任裏目
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