宋名臣言行録 / 後集巻十・傅堯俞
公為御史諌官四年所上百六十餘章多觸忌諱詆權倖名重朝廷而風節凛然聞於天下
新字:公為御史諌官四年所上百六十余章多触忌諱詆権倖名重朝廷而風節凛然聞於天下
書き下し
公御史諫官と爲ること四年。上る所百六十餘章。多く忌諱に觸れ權倖を詆る。名は朝廷に重く、風節凛然として天下に聞こゆ。
現代語訳
公は御史・諫官となること四年。差し上げた上章は百六十余通に及んだ。多くは触れてはならないところに触れ、権勢を得て寵を受けている者をそしった。名は朝廷で重んじられ、その気風と節操は凛然として天下に知られた。
解説
三十五字が、数と方向だけで一人の四年を書いています。**差し上げた上章は百六十余通。**四年で百六十余なら、十日に一通に近い。数だけなら、勤勉というだけです。次の一行が中身を決めています。**多くは触れてはならないところに触れ、権勢を得て寵を受けている者をそしった。**当たり障りのないところで数を稼いだのではない。避けるべきとされる場所へ、繰り返し出しています。
この章句が説くこと
公御史諫官と為ること四年上る所百六十余章多く忌諱に触れ権倖を詆る名は朝廷に重く風節凛然として天下に聞こゆ諫官数
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