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宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博

韓魏公留守北京李稷以國傅為漕頗慢魏公魏公不為較待之甚禮俄公代魏公為留守未至揚言云李稷之父絢我門下士也聞稷敢慢魏公必以父死失教至此吾視稷猶子也果不悛將庭訓之公至稷謁見坐客次久之公着道服出語之曰而父吾客也只八拜稷不獲巳如數拜之

新字:韓魏公留守北京李稷以国傅為漕頗慢魏公魏公不為較待之甚礼俄公代魏公為留守未至揚言云李稷之父絢我門下士也聞稷敢慢魏公必以父死失教至此吾視稷猶子也果不悛将庭訓之公至稷謁見坐客次久之公着道服出語之曰而父吾客也只八拝稷不獲巳如数拝之

書き下し

韓魏公北京に留守す。李稷、國傅を以て漕と爲り、頗る魏公に慢る。魏公較べを爲さず、之を待すること甚だ禮あり。俄かに公魏公に代わりて留守と爲る。未だ至らずして揚言して云う、李稷の父絢は我が門下の士なり。稷の敢えて魏公に慢ると聞く。必ず父死して教を失うを以て此に至る。吾稷を視ること猶お子のごとし。果たして悛めずんば、將に之を庭訓せんとすと。公至る。稷謁見して客次に坐す。之を久しくして、公道服を着けて出で、之に語りて曰く、而の父は吾が客なり。只だ八拜せよと。稷已むを得ず、數の如く之を拜す。

現代語訳

韓琦が北京に留守として在任していた。李稷は国傅の資格で漕運使となり、ずいぶん韓琦を見くびった。韓琦は張り合おうとせず、たいそう礼を尽くして遇した。ほどなく文彦博が韓琦に代わって留守となった。まだ着任しないうちから公言して言った。「李稷の父の絢は、私の門下の士である。稷が韓琦を見くびっていると聞く。きっと父が死んで教えを受け損なったのでそこまで来たのだろう。私は稷を我が子のように見ている。それでも改めないなら、庭で父として叱りつけるつもりだ」。文彦博が着任した。李稷は面会を求めて控えの間に座った。長く待たせてから、文彦博は道服を着て出てきて、こう告げた。「お前の父は私の客であった。八拝しなさい」。李稷はやむを得ず、その数のとおり拝礼した。

解説

同じ相手に、二人がまったく違う対し方をしています。韓琦は張り合いませんでした。**韓琦は張り合おうとせず、たいそう礼を尽くして遇した。**文彦博は着任前から言い触らします。**父が死んで教えを受け損なったのでそこまで来たのだろう。**関係を、上下から父子に置き換えました。着任当日は、正装ではなく道服で出ています。**お前の父は私の客であった。八拝しなさい。**公の席次ではなく、私の間柄で頭を下げさせた。断りようがありません。

この章句が説くこと

李稷国傅を以て漕と為り頗る魏公に慢る魏公較べを為さず之を待すること甚だ礼あり必ず父死して教を失うを以て此に至る吾稷を視ること猶お子のごとし而の父は吾が客なり只だ八拝せよ序列

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