宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
僕曰然則是時救東坡者宜為何說先生曰但言本朝未嘗殺士大夫今乃方開端則是殺士大夫自陛下始而後世子孫因而殺賢士大夫必援陛下以為例神宗好名而畏義疑可以此止之
新字:僕曰然則是時救東坡者宜為何説先生曰但言本朝未嘗殺士大夫今乃方開端則是殺士大夫自陛下始而後世子孫因而殺賢士大夫必援陛下以為例神宗好名而畏義疑可以此止之
書き下し
僕曰く、然らば則ち是の時東坡を救う者は宜しく何の説を爲すべきかと。先生曰く、但だ言え、本朝は未だ嘗て士大夫を殺さず。今乃ち方に端を開かば則ち是れ士大夫を殺すは陛下より始まる。而して後世の子孫因りて賢士大夫を殺すに必ず陛下を援きて以て例と爲さんと。神宗は名を好みて義を畏る。疑うらくは此を以て之を止む可しと。
現代語訳
私は言った。「では、そのとき東坡を救う者は、どのような論を立てるべきだったのですか」。先生は言った。「ただこう言えばよい。『本朝はいまだかつて士大夫を殺したことがありません。いままさにその端緒を開かれるなら、士大夫を殺すことは陛下から始まることになります。そして後世の子孫が賢い士大夫を殺すとき、必ず陛下を引いて先例とするでしょう』。神宗は名を好み、義を畏れた。おそらくこれによって止められただろう」。
解説
弁護の言葉から、当人を消した答えです。東坡が有能かどうか、罪があるかどうかを一切言いません。言うのは、これから先に起きることだけでした。**士大夫を殺すことは陛下から始まることになります。そして後世の子孫が賢い士大夫を殺すとき、必ず陛下を引いて先例とするでしょう。**一度目を作るかどうかの話にしている。しかも相手の性質に合わせてあります。**神宗は名を好み、義を畏れた。**
この章句が説くこと
然らば則ち是の時東坡を救う者は宜しく何の説を為すべきか本朝は未だ嘗て士大夫を殺さず今乃ち方に端を開かば則ち是れ士大夫を殺すは陛下より始まる後世の子孫因りて賢士大夫を殺すに必ず陛下を援きて以て例と為さん弁護先例
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