宋名臣言行録 / 後集巻十四・劉恕
前世史自太史公所記下至周顯德之末簡䇿極博而於科舉無所急故近嵗學者多不讀鮮有能道之者獨道原篤好之為人強記紀傳之外閭里所錄私記雜説無所不覽坐聽其談衮衮無窮上下數千載間細大之事如指掌
新字:前世史自太史公所記下至周顕徳之末簡策極博而於科舉無所急故近歳学者多不読鮮有能道之者独道原篤好之為人強記紀伝之外閭里所録私記雑説無所不覧坐聴其談衮衮無窮上下数千載間細大之事如指掌
書き下し
前世の史、太史公の記す所より、下は周の顯德の末に至るまで、簡策極めて博し。而して科舉に於いては急とする所無し。故に近歲學者多く讀まず。鮮く能く之を道う者有り。獨り道原のみ篤く之を好む。人と爲り強記。紀傳の外、閭里の錄する所・私記・雜説、覽ざる所無し。坐して其の談を聽けば、袞袞として窮まり無し。上下數千載の間、細大の事、掌を指すが如し。
現代語訳
前代の歴史書は、司馬遷の記したものから、下は後周の顕徳の末に至るまで、書物はきわめて広大である。ところが科挙においては急を要するものではない。だから近年、学ぶ者は多くこれを読まない。それを語れる者はまれである。ただ劉恕だけが篤くこれを好んだ。人となりは記憶が強い。紀伝の類のほかに、村里で記録されたもの、私的な記録、雑多な説にいたるまで、目を通さないものがなかった。座ってその話を聞けば、滔々として尽きることがない。上下数千年のあいだの、細かい事も大きな事も、手のひらを指すようであった。
解説
誰も読まなくなった理由が、はっきり書かれています。**科挙においては急を要するものではない。だから近年、学ぶ者は多くこれを読まない。**試験に出るかどうかが、読まれるかどうかを決めていました。そこに一人だけ例外がいます。しかも正史だけではありません。**村里で記録されたもの、私的な記録、雑多な説にいたるまで、目を通さないものがなかった。**空白の分野を一人で埋めた結果が、次の条につながります。**上下数千年のあいだの、細かい事も大きな事も、手のひらを指すようであった。**
この章句が説くこと
前世の史簡策極めて博し而して科舉に於いては急とする所無し故に近歳学者多く読まず鮮く能く之を道う者有り紀伝の外閭里の録する所・私記・雑説覧ざる所無し上下数千載の間細大の事掌を指すが如し史学評価
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