宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
真宗初即位沆為相帝雅敬沆嘗問治道所宜先沆曰不用浮薄新進喜事之人此最為先帝問其人曰如梅詢曾致堯等是也帝深然之故終帝世數人皆不進用
新字:真宗初即位沆為相帝雅敬沆嘗問治道所宜先沆曰不用浮薄新進喜事之人此最為先帝問其人曰如梅詢曽致堯等是也帝深然之故終帝世数人皆不進用
書き下し
真宗初めて即位す。沆相と為る。帝雅より沆を敬す。嘗て問う、治道の宜しく先にすべき所をと。沆曰く、浮薄新進喜事の人を用いざること、此れ最も先と為すと。帝其の人を問う。曰く、梅詢・曾致堯等の如きは是れなりと。帝深く之を然りとす。故に帝の世を終うるまで、數人皆な進用せられず。
現代語訳
真宗が即位したばかりのころ、李沆が宰相であった。帝は平素から李沆を敬っていた。かつて尋ねた。「治める道で、何を先にすべきか」。李沆は言った。「浮ついて軽く、新しく世に出て事を起こしたがる人を用いないこと。これが最も先です」。帝はその人物を尋ねた。「梅詢や曾致堯のような者がそれです」と言った。帝は深くそのとおりだと思った。だから帝の代が終わるまで、その数人はみな用いられなかった。
解説
「何を先にすべきか」という問いに、やらないことで答えた条です。浮ついて軽く、新しく世に出て事を起こしたがる人を用いないこと。これが最も先です。しかも名前まで挙げています。帝はそれを容れ、その数人は生涯用いられませんでした。人物を名指しで排することの是非は残ります。ただ、次の条でその判断が二十年後にどう扱われたかが記されていて、この書は評を急ぎません。
この章句が説くこと
浮薄新進喜事の人を用いざること此れ最も先と為す治道の宜しく先にすべき所を問う帝の世を終うるまで数人皆な進用せられず人選排除優先
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