宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
慶厯二年陜西四帥皆改觀察使公為秦州觀察使曰吾君憂邉臣子何可以擇官獨不辭
新字:慶厯二年陜西四帥皆改観察使公為秦州観察使曰吾君憂邉臣子何可以択官独不辞
書き下し
慶暦二年、陜西の四帥皆觀察使に改む。公、秦州觀察使と爲る。曰く、吾が君邉を憂う。臣子何ぞ以て官を擇ぶ可けんやと。獨り辭せず。
現代語訳
慶暦二年(一〇四二)、陝西の四人の帥がみな観察使に改められた。韓琦は秦州観察使となった。言った。「わが君は辺境を憂えておられる。臣下たる者が、どうして官を選り好みできようか」。四人のうち一人だけ辞退しなかった。
解説
観察使は武官の職で、文官にとっては格下げにあたりました。だから四人のうち三人が辞退しています。**わが君は辺境を憂えておられる。臣下たる者が、どうして官を選り好みできようか。**三十五字の条で、最後の四字が効いています。**独り辞せず。**ほかの三人がどうしたかを書かずに、この人だけを書いた。それで十分に伝わる書き方です。
この章句が説くこと
陜西の四帥皆観察使に改む吾が君邉を憂う臣子何ぞ以て官を択ぶ可けんや独り辞せず格式受諾辺境
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め夏人方に和を議す。公以謂えらく邉備弛む可からずと。范公と俱に出でて按行せんことを請う。遂に公に陜西を宣撫し、范公に河東を宣撫するを命ず。范、兵を益して河陽・蒲中に屯し、及び兵を以て從わんことを請う。公以爲えらく必ずしも兵を請わずと。上前に議して未だ合わず。退きて殿廬の中に於いて猶お爭う。公曰く、若し爾らば則ち臣自ら行かんことを乞う。朝廷の一人一騎をも用いじと。范色忿り、再び對を請いて公の語を道わんと欲す。公笑いて之を止む。會ミ富公、公の説を賛す。卒に兵を發せず。范も亦た以て忤と爲さず。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公秦に在り、州城を增廣して以て保固し、東西の市を招集し、屬戸をして諸羌の馬を益ミ市わしむ。生羌の邉を鈔する者を討殺し、兵を厲まして以て賊を待つ。公の秦を去るに訖るまで、賊敢えて塞を窺わず。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦右司諫を以て職に供す。上に得失を明らかにし、朝廷の紀綱を正し、忠直に親近して邪佞を放逺せんことを勸む。時に災異數ミ見る。公、災變の屢ミ發するは執政者の才に非ざるに主ると以て、累りに上に言うも未だ納れらるるを見ず。公又た奏して曰く、豈に陛下輔弼を擇びて未だ其の人を得ざるかと。杜衍・范仲淹・孔道輔・宋郊・胥偃の若きは、衆以て忠正の臣と爲す、進擢に備う可し。然らずんば、嘗て用いる所の者、王曾・吕夷簡・蔡齊・宋綬も亦た人の屬望する所なりと。章十たび上るも報ぜられず。公䟽を抗げて出でんことを乞う。上乃ち宰臣王隨・陳堯佐、參政韓億・石中立等を罷む。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め法下るや、曰く、琦は舊臣なり。義として敢えて黙せずと。聽かれざるに及び、官屬に曉して亟かに奉行せしめて曰く、琦は一郡守なり。其れ敢えて令の如くせざらんやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公關陜に至り、兵の數多しと雖も、疲弱を雜えて用度を耗すを以て、禁軍の征戰に堪えざる者を選びて、一萬二千餘人を停放す。後、田况、諸路の軍の戰に堪えざる者を選びて廂軍と爲さんことを乞いて云う、若し兵驕ること久しく、一旦に澄汰せば亂を致さんことを恐ると謂わば、則ち去年、韓琦、邉兵萬餘人を汰す。豈に亂を爲す者有るを聞かんやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦元昊初めて叛き、兵鋒銳きこと甚だし。中國久しく戰を知らず、人心頗る恐る。公に陜西安撫使を授く。趣かに道に上る。公勇にして自ら效さんと欲し、馳せて延安に至れば、則ち羗已に圍を解きて去る。然れども士氣沮傷し、將吏往往にして病と移して罷職を求む。公即ち材武を選練し、戰守の器を治め、居人を慰安し、豪傑を收召して之と計議す。范雍、延州を守る。朝廷以爲えらく能わずとし、趙振を以て代えんと欲す。公奏して曰く、願わくは雍を留めて以て後效を觀ん。已む無くんば則ち范仲淹を可と爲す。以て國家の爲に計るなり、仲淹に私するに非ず。若し朋比に涉りて陛下の事を誤らば、當に族せらるべしと。慶人の陳叔慶等、邉防の策を陳べて官に補せられ、東南に置かる。公奏して曰く、忠義憤懣して國の爲に計を獻ず。稍く收用すと雖も、乃ち僻左に置くは、實に之を覊縻するなり。誠意を開示して人才を招徠する所以に非ずと。