宋名臣言行録 / 前集巻四・楊億
丁謂初參政億例賀焉語同列曰骰子選爾何多尚哉未幾辭親疾逃陽翟别墅
新字:丁謂初参政億例賀焉語同列曰骰子選爾何多尚哉未幾辞親疾逃陽翟別墅
書き下し
丁謂、初めて參政たり。億、例して焉を賀す。同列に語りて曰く、骰子の選のみ。何ぞ多く尚とせんやと。未だ幾ならずして、親の疾を辭して陽翟の别墅に逃る。
現代語訳
丁謂がはじめて参知政事となった。楊億は慣例として祝賀した。同僚に言った。「賽の目が出ただけのことだ。どうしてそう有難がるのか」。ほどなく、親の病を口実に辞して、陽翟の別荘へ逃れた。
解説
三十一字の条です。慣例どおり祝賀の列には並んだ。そのうえで同僚に漏らしています。**賽の目が出ただけのことだ、どうしてそう有難がるのか。**丁謂はこの後、寇準を海辺へ流す人です。楊億はその昇進を、実力でも徳でもなく偶然だと見ていました。そしてほどなく、親の病を口実に別荘へ逃れています。言うだけ言って、その場に居続けはしませんでした。
この章句が説くこと
骰子の選のみ何ぞ多く尚とせんや丁謂初めて参政たり億例して焉を賀す未だ幾ならずして親の疾を辞して陽翟の別墅に逃る昇進偶然退避
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