宋名臣言行録 / 後集巻十・韓維
先生云持國服義最不可得一日頤與持國范夷叟泛舟於頴昌西湖須□客將云有一官貟上書謁見大資頤將謂有甚急切公事乃是求知巳頤云大資居位却不求人乃使人倒來求已是甚道理夷叟云只為正叔大執求薦章常事也頤云不然只為曾有不求者不與求者與之遂致人如此持國便服
新字:先生云持国服義最不可得一日頤与持国范夷叟泛舟於頴昌西湖須□客将云有一官貟上書謁見大資頤将謂有甚急切公事乃是求知巳頤云大資居位却不求人乃使人倒来求已是甚道理夷叟云只為正叔大執求薦章常事也頤云不然只為曽有不求者不与求者与之遂致人如此持国便服
書き下し
先生云う、持國の義に服すること最も得可からず。一日頤持國・范夷叟と潁昌の西湖に舟を泛ぶ。□を須つ。客將云う、一官員有りて上書し大資に謁見せんとすと。頤將に甚だ急切なる公事有らんと謂う。乃ち是れ己を知らんことを求むるなり。頤云う、大資は位に居りて却って人を求めず。乃ち人をして倒りて來たりて己に求めしむ。是れ甚の道理ぞと。夷叟云う、只だ正叔の大いに執るが爲なり。薦章を求むるは常事なりと。頤云う、然らず。只だ曾て求めざる者は與えず、求むる者は之を與うる有るが爲に、遂に人をして此くの如くならしむと。持國便ち服せり。
現代語訳
先生が言う。「持国が道理に服する態度は、最も得がたいものだ。ある日、頤は持国・范純礼と潁昌の西湖に舟を浮かべた。〔一字を欠く〕を待っていた。取次の者が言った。『ある役人が上書して、大資殿にお目にかかりたいと申しております』。頤はよほど急を要する公務かと思った。ところが自分を知ってもらうことを求めてきたのだった。頤は言った。『大資殿は位にありながら、こちらから人を求めない。そのくせ人のほうから逆にやって来て自分に求めさせている。これはどういう道理か』。范純礼は言った。『それはただ正叔がひどく堅苦しいからだ。推薦状を求めるのは、よくあることだ』。頤は言った。『そうではない。かつて求めなかった者には与えず、求めた者には与えることがあったから、ついに人をこのようにさせているのだ』。持国はそこで納得した」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十・韓維公志篤く學を好む。嘗て進士を以て禮部に薦めらるるも、父執政に任ぜらるるを以て廷試に就かず。乃ち父の任を以て將作監主簿を守る。外艱に丁り、服除して門を闔じて仕えず。仁宗搢紳の奔競を患え、近臣に諭して曰く、恬退守道の者を旌擢すれば則ち躁求する者は自ら當に恥を知るべしと。是に於いて宰相文彦博・宋庠等公の古を好み學を嗜み静退に安んずるを言い、甄錄を加えて以て風俗を厚くせんことを乞う。召して學士院に試みんとす。辭して赴かず。國子監主簿を除す。
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『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁公相位に在りて、凡そ人材を薦引するに必ず天下の公議を以てす。薦むる所の士は未だ嘗て公より出づるを知らず。公も亦た未だ嘗て恩意を人に示さず。人或いは公に謂いて曰く、身宰相と爲る。豈に天下の士を牢籠して門下より出づるを知らしめざる可けんやと。公曰く、但だ願わくは朝廷の進用正人を失わざらんことを。何ぞ必ずしも我が門下より出づるを知らしむるを須いんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公相位に在り、進め用うる所の人は惟だ公議の在る所を以てす。凡そ上前に薦引するも、未だ嘗て輒ち其の語を漏らさず。間ミ上に宣諭有るに因り、或いは同僚談說して、人始めて之を聞く。
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『宋名臣言行録』前集巻六・韓億范文正、開封を知る。百官圖を獻じ、宰相の差除の公ならざるを指す。隂かに公の用う可きを薦む。文正既に貶せらる。仁宗、以て公に諭す。公曰く、若し仲淹、臣を舉ぐるに公を以てせば、則ち臣の拙直は陛下の知る所なり。臣を舉ぐるに私を以てせば、則ち臣、質を委ねしより以来、未だ嘗て人に交託せずと。遂に參政に除す。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹公言う、舊年子弟の官に赴くに、蜀公に書を乞う者有り。公許さずして曰く、仕宦は廣く人に知らるるを求む可からず。恩を受くること多ければ、則ち朝に立ち難し、と。