宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青
公自散直爲延州指使與西賊戰毎帶銅面具被髮出入行陣間凡八中箭累功至招討副使而未識其面遂令圖形以進
新字:公自散直為延州指使与西賊戦毎帯銅面具被髪出入行陣間凡八中箭累功至招討副使而未識其面遂令図形以進
書き下し
公、散直より延州の指使と爲る。西賊と戰う。毎に銅の面具を帶び、髮を被りて行陣の間に出入す。凡そ八たび箭に中たる。功を累ねて招討副使に至る。而して未だ其の面を識らず。遂に形を圖して以て進めしむ。
現代語訳
公は散直から延州の指使となった。西の賊と戦った。そのつど銅の面をつけ、髪を振り乱して陣中を出入りした。全部で八度、矢に当たった。功を重ねて招討副使に至った。それでもまだ、その顔を知る者がなかった。そこで姿を絵に描かせて差し出させた。
解説
顔を隠して戦った条です。**銅の面をつけ、髪を振り乱して陣中を出入りした。全部で八度、矢に当たった。**そして副司令官まで昇ったのに、**まだその顔を知る者がなかった。**帝が絵に描かせて差し出させています。狄青(一〇〇八〜一〇五七)は一兵卒から昇った人で、顔には刺青が入っていました。面をつけた理由は書かれていません。
この章句が説くこと
毎に銅の面具を帯び髪を被りて行陣の間に出入す凡そ八たび箭に中たる功を累ねて招討副使に至る而して未だ其の面を識らず遂に形を図して以て進めしむ武勇無名出自
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青公、韓・范の知る所と爲る。後、樞宻に位す。或るひと告ぐるに、當に狄梁公を推して祖と爲すべしと以てす。公愧謝して曰く、青は田家より出で、少くして兵と爲る。安んぞ敢えて狄梁公を祖とせんやと。(筆談に云う、青、樞宻使と爲る。狄梁公の後、梁公の畫像及び告身十餘通を持して青に詣りて之を獻ず。以謂えらく青の逺祖なりと。之を謝して曰く、一時の遭際、安んぞ敢えて自ら梁公に附かんやと。厚く贈りて之を還す。之を郭崇韜の子儀の墓に哭するに比ぶれば、青の得る所多しと。)或るひと鬢間の字を去らんことを勸む。則ち曰く、青、貴しと雖も本を忘れざるなりと。(或るひと曰く、仁宗、青に喻して其の湼を去らしむ。青、其の面を指して云う、臣の此に至る所以は、是を以てのみ。願わくは留めて軍中に示さん。敢えて詔を奉ぜずと。)韓公の家に至る毎に、必ず廟庭の下に拜す。入りて夫人を拜すること甚だ恭し。郎君の禮を以て其の子弟を待つ。其の人に異なること此くの如し。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青青、真定の副帥と作る。嘗て魏公に宴す。惟だ劉易先生のみ與る。易の性は素より踈訐なり。時に優人、儒を以て戲を爲す。易勃然として、黥卒、敢えて此くの如くすと謂う。公を詬詈して口を絶たず。樽俎を擲ちて以て起つに至る。公の氣、殊に自若として、少しも動ぜず。笑語益々温なり。次日、公首として劉易を造りて謝す。魏公、是の時に於て巳に其の量有るを知る。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青初め青、自ら智髙を擊たんことを請う。諌官韓絳、上言す、青は武人なり。專任するに足らず。固く侍從の文臣を以て之が副と爲さんことを請うと。上、以て執政に問う。時に龎籍、獨り相と爲る。對えて曰く、屬者、王師の屢々敗るる所以は、皆な大將自ら輕んじ、偏禆人人自ら用い、賊に遇いて或いは進み或いは退き、力、制する能わざるに由るなり。今、青は行伍より起こる。若し侍從の臣を以て之に副えば、彼、青を視ること無きが如し。青の號令、復た行うを得ず。是れ覆車の軌を循るなり。青、昔、鄜延に在りて臣の麾下に居る。沉勇にして智略有り。若し專ら智髙の事を以て之に委ね、青をして先ず威を以て衆を齊えしめ、然る後に之を用いば、必ず能く賊を辦ぜん。幸わくは陛下、以て憂いと爲す勿かれと。上曰く、善しと。是に於て詔して、嶺南の用兵、皆な青の節度を受けしむ。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青青の命を受くるや、貴近に因りて青に從いて行かんことを求むる者有り。青、延見して之に謂いて曰く、君、青に從いて行かんと欲す。此れ青の求むる所なり。何ぞ必ずしも人の言に因らんや。然れども智髙は小冦なり。青を遣わして行かしむるに至る。以て事の急なるを知る可し。青に從うの士、能く賊を擊ちて功有らば、朝廷に厚賞有り。青、敢えて之が爲に請わずんばあらず。若し徃きて賊を擊つ能わずんば、則ち軍中の法重し。青、敢えて私せざるなり。君、其れ之を思え。行くを願わば則ち即ち奏して君を取らん。獨り君のみに非ず。君の親戚・交遊の士、幸わくは皆な此の言を以て之に告げよ。茍しくも行かんと欲する者は、皆な青の求むる所なりと。是に於て聞く者大いに駭き、復た敢えて言いて青に從いて行かんことを求むる者無し。其の辟取する所は、皆な青の素より知る所にして、以て用う可しと爲す者なり。人望固より巳に歸せり。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青公、親に事えて孝なり。父の䘮に遭う。金革の事を衽すと雖も、哀戚、人に過ぐ。母を養うこと尤も篤し。征南の日、其の憂いを遺さんことを懼る。内外を戒めて兵事を以て聞せしめず。第だ江表に奉使すと云うのみ。始め行きて邕に至る。㑹々瘴霧の氣、昬鬱として人に中つ。或るひと謂う、賊、毒を水中に流す。飲む者多く死すと。忽ち一夕、泉、郊に湧く。之を汲むに甘冽なり。遂に其の衆を濟う。
-
『宋名臣言行録』前集巻八・狄青青、涇原に在り。嘗て寡を以て衆に當たる。度るに必ず竒を以て勝つべしと。預め軍中を戒め、盡く弓弩を捨てて皆な短兵を執らしむ。宻かに軍中に令す、鉦一聲を聞かば則ち止まり、再聲せば則ち陣を嚴にして陽りて却き、鉦聲止まば則ち大呼して之に突けと。士卒皆な其の教えの如くす。纔かに敵に遇い、未だ接戰せず。遽かに鉦を聲す。士卒皆な止まる。再び聲す。皆な却く。虜人大いに笑い、相い謂いて曰く、孰か狄天使を勇と謂うやと。鉦聲止む。忽ち前みて之に突く。虜兵大いに亂れ、相い蹂踐して死する者、勝げて計う可からず。