宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
公嘗訪陳搏一見公厚遇之顧謂子弟曰此人于名利澹然無情達必為公卿不達則為帝王師
書き下し
公嘗て陳搏を訪う。一たび公を見て之を厚遇す。顧みて子弟に謂いて曰く、此の人、名利に于いて澹然として情無し。達せば必ず公卿と為り、達せずんば則ち帝王の師と為らんと。
現代語訳
公はかつて陳摶を訪ねた。陳摶は一目見ただけで公を手厚く遇した。振り返って子弟に言った。「この人は名利に対してあっさりとしていて執着がない。世に出れば必ず公卿となり、出なければ帝王の師となるだろう」。
解説
三十七字の人物評です。見立ての形が変わっています。世に出れば公卿、出なければ帝王の師。どちらに転んでも高いところへ行く、と言っている。根拠として挙げたのは能力ではなく、名利に対してあっさりしていることでした。銭若水を「急流の中で勇んで退く人」と見立てたのも同じ陳摶です。この隠者は、執着の薄さを一貫して見ています。
この章句が説くこと
此の人名利に于いて澹然として情無し達せば必ず公卿と為り達せずんば則ち帝王の師と為らん一たび公を見て之を厚遇す人物眼無欲進退
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