宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
公始至浚二河以茅山一河受江潮以鹽橋一河受湖水復造堰閘以為湖水畜洩之限然後潮不入市且以餘力復完六井又取葑田積湖中為長堤以通南北募人種菱湖中而收其利以備修湖杭人名其堤曰蘇公堤云
新字:公始至浚二河以茅山一河受江潮以塩橋一河受湖水復造堰閘以為湖水畜洩之限然後潮不入市且以余力復完六井又取葑田積湖中為長堤以通南北募人種菱湖中而収其利以備修湖杭人名其堤曰蘇公堤云
書き下し
公始めて至りて二河を浚う。茅山の一河を以て江潮を受け、鹽橋の一河を以て湖水を受く。復た堰閘を造りて以て湖水畜洩の限と爲す。然る後に潮市に入らず。且つ餘力を以て復た六井を完うす。又た葑田を取りて湖中に積みて長堤と爲し、以て南北を通ず。人を募りて菱を湖中に種え、其の利を收めて以て湖を修むるに備う。杭人其の堤を名づけて蘇公堤と曰うと云う。
現代語訳
公は着任してすぐ二つの河を浚った。茅山の一河で長江の潮を受け、塩橋の一河で湖の水を受けた。あらためて堰と水門を造って、湖の水を溜め流す境目とした。そうしてから潮は市中に入らなくなった。そのうえ余力で六つの井戸も修復した。また刈り取った水草の田を湖の中に積んで長い堤とし、南北を通した。人を募って菱を湖の中に植え、その利を収めて、湖を修めるための備えとした。杭州の人はその堤を名づけて蘇公堤という。
解説
工事の設計が、すべて二段になっています。二つの河を分けて、潮と湖水を混ぜない。堰を造って、溜めるのと流すのを分ける。そして最も巧いのが、邪魔者の始末でした。**刈り取った水草の田を湖の中に積んで長い堤とし、南北を通した。**捨てるものが道になる。さらに、その道を維持する費用まで湖から出させました。**菱を湖の中に植え、その利を収めて、湖を修めるための備えとした。**手入れが続く形にしてある。
この章句が説くこと
公始めて至りて二河を浚う復た堰閘を造りて以て湖水畜洩の限と為す然る後に潮市に入らず又た葑田を取りて湖中に積みて長堤と為し以て南北を通ず人を募りて菱を湖中に種え其の利を収めて以て湖を修むるに備う治水循環
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