宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
公在閤下累年時楊文公已居内制楊性恢諧好嘲誚凡僚友無不狎侮至公則曰第四㕔舍人不敢奉戲故李翰林昌武尤所歎服嘗曰若王舍人可謂不可得而親疎也
新字:公在閤下累年時楊文公已居内制楊性恢諧好嘲誚凡僚友無不狎侮至公則曰第四㕔舎人不敢奉戯故李翰林昌武尤所嘆服嘗曰若王舎人可謂不可得而親疎也
書き下し
公、閤下に在ること累年。時に楊文公已に内制に居る。楊の性は恢諧、嘲誚を好む。凡そ僚友、狎侮せざる無し。公に至れば則ち曰く、第四㕔の舍人、敢えて戲れを奉ぜずと。故に李翰林昌武、尤も歎服する所なり。嘗て曰く、王舍人の若きは、得て親疎す可からずと謂う可しと。
現代語訳
公は中書門下にいること数年であった。当時、楊億はすでに内制の職にあった。楊億の性質はおどけていて、からかい嘲ることを好んだ。同僚の誰にでも馴れ馴れしく茶化さない者はなかった。公のところへ来ると言った。「第四庁の舎人には、戯れを差し上げるわけにいかない」。だから翰林の李昌武がとりわけ感服した。かつて言った。「王舎人のような人は、親しくすることも疎んじることもできない、と言うべきだ」。
解説
誰にでも茶化してかかる男が、一人だけ避けた条です。**第四庁の舎人には、戯れを差し上げるわけにいかない。**怒られたからでも、身分が上だからでもありません。李昌武の評がその中身を言い当てています。**王舎人のような人は、親しくすることも疎んじることもできない。**距離を詰められもせず、遠ざけられもしない。前の巻で「二十年、好き嫌いの跡を見せなかった」と評された王旦と、同じ質のものです。
この章句が説くこと
第四㕔の舎人敢えて戯れを奉ぜず王舎人の若きは得て親疎す可からず楊の性は恢諧嘲誚を好む凡そ僚友狎侮せざる無し距離公平威
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