宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
熙寧元豐間士大夫論天下賢者必曰君實景仁其道徳風流足以師表當世其議論可否足以榮辱天下二公葢相得懽甚皆自以為莫及曰吾與子生同志死當同傳而天下之人亦無敢優劣之者二公既約更相為傳而後死者則誌其墓故君實為景仁傳其略則曰吕獻可之先見景仁之勇決皆予所不及也
新字:熙寧元豊間士大夫論天下賢者必曰君実景仁其道徳風流足以師表当世其議論可否足以栄辱天下二公葢相得懽甚皆自以為莫及曰吾与子生同志死当同伝而天下之人亦無敢優劣之者二公既約更相為伝而後死者則誌其墓故君実為景仁伝其略則曰呂献可之先見景仁之勇決皆予所不及也
書き下し
熙寧元豐の間、士大夫天下の賢者を論ずれば必ず曰く、君實・景仁と。其の道德風流は以て當世に師表たるに足り、其の議論の可否は以て天下を榮辱するに足る。二公蓋し相い得て歡ぶこと甚だし。皆自ら以て及ばずと爲す。曰く、吾と子と、生きては志を同じくし、死しては當に傳を同じくすべしと。而して天下の人も亦た敢えて之を優劣する者無し。二公既に約して更ミ相い傳を爲し、而して後に死する者は則ち其の墓を誌す。故に君實景仁の爲に傳を爲す。其の略に則ち曰く、呂獻可の先見、景仁の勇決は皆予の及ばざる所なりと。
現代語訳
熙寧・元豊のころ、士大夫が天下の賢者を論ずれば、必ず「君実と景仁」と言った。その道徳と風格は当世の手本となるに足り、その議論の可否は天下を栄えさせも辱めもするに足りた。二人はまことに気が合って、たいそう喜び合った。どちらも自分のほうが及ばないとした。こう言った。「私とあなたとは、生きては志を同じくし、死んでは伝を同じくすべきだ」。そして天下の人もまた、あえてどちらが上とも下とも言わなかった。二人は互いに相手の伝を書き、後から死んだほうが相手の墓誌を書く、と約束した。だから司馬光は范鎮のために伝を書いた。その要旨にはこうある。「呂献可の先見、景仁の勇決は、いずれも私の及ばないところである」。
解説
並び称される二人が、互いに相手のほうが上だとしていました。**どちらも自分のほうが及ばないとした。**そして、約束の中身が変わっています。ふつうは生前の付き合いを約束します。**私とあなたとは、生きては志を同じくし、死んでは伝を同じくすべきだ。**死後の記録まで含めた約束です。実際に取り決めもしました。**互いに相手の伝を書き、後から死んだほうが相手の墓誌を書く。**残される側の仕事まで、先に分け合っています。
この章句が説くこと
士大夫天下の賢者を論ずれば必ず曰く君実景仁と二公蓋し相い得て歓ぶこと甚だし皆自ら以て及ばずと為す吾と子と生きては志を同じくし死しては当に伝を同じくすべし二公既に約して更ミ相い伝を為し後に死する者は則ち其の墓を誌す友情約束
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