宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
初公與蘇公約皆上章論列蘇公巳具草見公之章遂附名同奏因謂公曰公之文經世之文也軾於朝廷文字失於過當不若公之言皆可行也
新字:初公与蘇公約皆上章論列蘇公巳具草見公之章遂附名同奏因謂公曰公之文経世之文也軾於朝廷文字失於過当不若公之言皆可行也
書き下し
初め公蘇公と約して皆な章を上りて論列せんとす。蘇公已に草を具う。公の章を見て、遂に名を附して同に奏す。因りて公に謂いて曰く、公の文は經世の文なり。軾は朝廷の文字に於いて過當に失す。公の言の皆な行う可きに若かざるなり、と。
現代語訳
初め、范祖禹は蘇軾と申し合わせて、ともに上奏文を出して論じ立てることにしていた。蘇軾はすでに草稿を用意していた。ところが范祖禹の上奏文を見て、そのまま自分の名を連ねて一緒に奏上した。そして范祖禹に言った。「あなたの文は世を経営する文である。私は朝廷に出す文章となると、度を越してしまうきらいがある。あなたの言葉がどれも実行できるものであるのには及ばない」。
解説
当代一の文章家が、自分の草稿を引っ込めた場面です。理由が具体的でした。私は朝廷に出す文章となると、度を越してしまうきらいがある。上手すぎる文は、言い過ぎます。言い過ぎた分だけ、通らなくなる。あなたの言葉がどれも実行できるものであるのには及ばない。評価の基準が、うまさではなく実行可能性に置かれています。あなたの文は世を経営する文である。そして自分の名を、相手の文に連ねました。
この章句が説くこと
初め公蘇公と約して皆な章を上りて論列せんとす蘇公已に草を具う公の章を見て遂に名を附して同に奏す公の文は経世の文なり軾は朝廷の文字に於いて過当に失す公の言の皆な行う可きに若かざるなり文章実行
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